筑紫哲也・講演会

高岡商工会議所青年部40周年記念事業として、
「 ー高岡発、よみがえれ日本!ー
~高度成長以降の40年とこれからの地方都市の役割~」
と題した、筑紫哲也さんの講演会がありました。
テレビや雑誌とは違う講演会でどんな話をするのか、
興味があったので、高岡市民会館まで行って聞いてきました。

まず何よりも思ったのは、知識バランスの安定感でしょうか。
1時間半に渡ってのお話は淀むことなく流暢に流れて、
高岡になぞらえて郷里のお話をされるときも話がぶれない。
「知られていないからこそ潜在能力がある」との発想も、
事実に根差したものとして、新たな希望として聞けました。
さほど知らないであろう高岡のこれからを話す上で、
これは最高にフィットした話題だったろうと思われます。

今回の筑紫さんの話は、高岡という地方都市の話しと同時に、
高度成長以降の40年間の捉え方としても、あるいはなぜ今、
阿部内閣があれほど人気があるのかの分析にも納得できて、、
さすがに社会の動きをよく見ていらっしゃる正眼を感じました。
戦後の高度成長期以降の日本は経済を重視するあまりに、
お金勘定ばかりで物事の良し悪しを測るようになたわけですが
この弊害によって人々の生活が乱れて来ているとの認識は、
僕らが普段から主張していること、そのままでもあったのです。
問題意識としては、僕らや阿部内閣に同じものが繋がっている。

さてそこでなぜ阿部内閣がこれほど支持されるのかの分析で、
中曽根元首相の見解を紹介されたのもよくわかる話でした。
「粘土だった国民が、砂になってしまっている」
すなわち昔は隣近所の生活空間で密接な繋がりを持っていたのに、
今はそれが無くなっているから、すぐにどこかへ流されてしまう。
こうしたもろい国民性になっている時代性を指摘した上で、
実生活に根差した価値観や生活基盤が失われたことによって、
自分がどこに所属するのかわからない不安心を払拭するために、
ナショナリズムが台頭してポピュリズムが後押しをする。
これが安倍内閣に人気がある正体だと分析するわけです。

こうしたさまざまな人の意見を織り交ぜてのお話は、
独りよがりな自己主張に陥らないでいようとする筑紫さんの、
普段からの基本スタンスがそのまま生きているのでしょう。
話しぶりも穏やかで、内容がわかりやすいのもさすがです。
さらには、これからの日本で何に希望を持てるかとの視点でも、
阿部内閣の人気は、もう経済主義が終わったことの証であること。
すでに中央集権的な政治さえ衰え始めており、これからは、
現実として身近な行政が人々の生活を支えていく時代になる。
日本には明治の中央集権国家になる以前は地方文化が色濃くあり、
人々は中央集権ではない文化素養を遺伝子的にも持っている。

こうした話が単なる知識ではなく、筑紫さんの実践の中で、
長い年月を掛けて身に付けてこられたことの集積であるからこそ、
どのような事態にも的確な判断やコメントが出来るのだと思います。
一周遅れのランナーが実は未来を切り開く力であったり、
スローライフをいち早く地方行政の方針として提案するなど、
かれは単なるニュースキャスターではない、リーダーでもある。
最後に日本の子どもたちは世界に類を見ない利他心の持ち主だと、
これも思わぬところから、新たな希望を見せられた気がしました。
彼はどの発言にも裏打ちがあるのが優れて信頼できるのです。

無料の講演会だったこともあり、大勢の人が集まっていましたが、
最後に時間を取った客席からの質問は残念ながらひどかった。
質問に立った三人とも、有名人に取り入りたいような内容だけで、
せっかく滅多に聞けない優れた社会分析のお話に対して、
内容に相応しいようなやりとりを聞けなかったのは、
まだ高岡において、市民の意識が低いことの現れかもしれない。
それでもこうした活動が増えてきていることが、
これからの高岡、ひいては砺波平野の地方文化を変えるでしょう。