高校生と一緒に授業

言語学に関心を持って以来、日本語が気になり始めて、
文化としての朗読や古典にも関心を持つようになりました。
そんな折りに、高校生と一緒に授業を受ける制度があると知り、
「身近な古典文学」を受講する、今日がその第一日目でした。
政治的には教育基本法改正の動きもあるようですが、
そもそも今の教育がどうなっているのか知らな過ぎるので、
僕にとっては超久しぶりの高校授業実体験です。

高岡駅前にあるビルの7階から12階を占める高等学校は、
それだけでもちょっと驚きですが、社会人を受け入れて、
高校生と同じ授業を一緒に受講できるのが斬新です。
さらに驚いたのは、このビルの中には体育館もあって、
校舎から見下ろせる屋上広場も整っているのです。
駅前の大きな公共ビルの中に高校があるのは知っていても、
これほどの施設がさりげなく存在していることは驚きでした。

さて選んだのは「身近な古典文学」で、社会人は6人。
高校生はと見ると同数の6人で、合計12人しかいません。
まるで大学のゼミを思わせる少人数の授業です。
教える先生は、一昨年まで高岡高校で国語を教えていた人で、
受験用の授業よりも、今の授業内容の方が性にあって好きだ、
とおっしゃる、新しい制度に意欲的な面白い人です。
授業内容も、なるべく参加者の希望に添って考えるとのこと。

授業もなかなか面白くて、常識を疑うところから始まり、
「カットバン」は富山でしか通じない方言であるとか、
逢ひ見ての後の心にくらぶれば、昔はものをおもわざりけれ、
これをどのように鑑賞するかなども、受験用ではなく、
さまざまな角度から見る可能性を話しておられた。
こうした受験用でない高校の授業とは面白いものだ。
俵万智の「チョコレート革命」の読み方なども面白かった。

こうした面白い高校の授業を受けながら思ったことは、
社会では法律やら制度やら二の次のことにばかりが騒がれて、
老若男女を問わずに人生の大切を話し合うことがなさ過ぎる。
つくづく現代は情報が溢れてコミュニケーションのない、
不思議な冷たい社会になったものだって感慨かもしれない。
個々人を無用な縛りから開放した後に来るべきもの、
新しいコミュニケーションによる社会作りが必要だろう。