五感の力
先日読んだ「言葉の力」があまりにも良かったので、
言葉以外の人間のコミュニケーションも気になった。
著者の松永澄夫さんは続編も考えているようで、
本の題名には「音の経験」と冠がついているように、
言葉が抽象的な意味だけではないと知っておられる。
例えば会話と言えども具体的な状況が影響するし、
その状況とは時として音や映像や触感などのように、
人の五感によってもたらされるものが大きいってことだ。
それでは言葉と違う五感のコミュニケーションとは何か?
人間は言葉によらなくても何かを把握できるのか?
どうも僕は、そこのところがうまく説明できないでいた。
その「何か」をうまく言い表すことが出来ないでいた。
言葉でないものを表現し、受け取るとはどういう事か?
それでも松永さんの「主語」を理解すれば可能なはずだ。
そんなことを考えていたら、面白い番組に出会った。
NHKの「プロフェッショナル」と言う番組だ。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/index.html
今まで何度か見ていて、蓄積の大切さは感じていたけど、
10月5日の「心動かす広告 命宿す写真」は良かった。
写真家・上田義彦さんの仕事ぶりを紹介するなかで、
打ち合わせでは出てこない瞬間の力を浮き上がらせる。
演出や説明や約束事では出てこない一瞬の何かを撮る仕事。
サムライの真剣勝負とも例えられる上田さんの撮り方は、
「待ち続ける事で、被写体の気持ちがふっとゆるむ。
その一瞬に現れる最高の表情を逃さずシャッターを切る」
と説明されても、その何であるかは言葉ではわからない。
ところが、実際に作品を見れば明らかに「何か」はある。
世の中著作権にうるさい時代なので、映像は載せないけど、
彼の作品は多くの有名な広告で見ている人は多いだろう。
特に人の表情を撮らせると、説明し難い何かを映し出す。
言葉ではない視覚を通すものでコミュニケートしてくる。
表形文字から始まっている日本語に書道があるのもわかる。
言葉は音でもあると捉えた松永さんにも納得できる。
さらには触感や味覚や嗅覚によって分かち合えるものもある。
そう考えて初めて、「五感の力」も見えてきたのだ。
言葉以外の人間のコミュニケーションも気になった。
著者の松永澄夫さんは続編も考えているようで、
本の題名には「音の経験」と冠がついているように、
言葉が抽象的な意味だけではないと知っておられる。
例えば会話と言えども具体的な状況が影響するし、
その状況とは時として音や映像や触感などのように、
人の五感によってもたらされるものが大きいってことだ。
それでは言葉と違う五感のコミュニケーションとは何か?
人間は言葉によらなくても何かを把握できるのか?
どうも僕は、そこのところがうまく説明できないでいた。
その「何か」をうまく言い表すことが出来ないでいた。
言葉でないものを表現し、受け取るとはどういう事か?
それでも松永さんの「主語」を理解すれば可能なはずだ。
そんなことを考えていたら、面白い番組に出会った。
NHKの「プロフェッショナル」と言う番組だ。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/index.html
今まで何度か見ていて、蓄積の大切さは感じていたけど、
10月5日の「心動かす広告 命宿す写真」は良かった。
写真家・上田義彦さんの仕事ぶりを紹介するなかで、
打ち合わせでは出てこない瞬間の力を浮き上がらせる。
演出や説明や約束事では出てこない一瞬の何かを撮る仕事。
サムライの真剣勝負とも例えられる上田さんの撮り方は、
「待ち続ける事で、被写体の気持ちがふっとゆるむ。
その一瞬に現れる最高の表情を逃さずシャッターを切る」
と説明されても、その何であるかは言葉ではわからない。
ところが、実際に作品を見れば明らかに「何か」はある。
世の中著作権にうるさい時代なので、映像は載せないけど、
彼の作品は多くの有名な広告で見ている人は多いだろう。
特に人の表情を撮らせると、説明し難い何かを映し出す。
言葉ではない視覚を通すものでコミュニケートしてくる。
表形文字から始まっている日本語に書道があるのもわかる。
言葉は音でもあると捉えた松永さんにも納得できる。
さらには触感や味覚や嗅覚によって分かち合えるものもある。
そう考えて初めて、「五感の力」も見えてきたのだ。