夢と言葉のワンダーランド

チョムスキー言語学に刺激されて、
言葉の意味について改めて考えるうちに、
新しい世界が広がって見えてきた気がする。
「初めに言葉あり」なんて言い回しもあるけど、
人はなるほど言葉によって初めて「人」であり、
本来自然界にはない「言葉」を抜きにしては、
人間界が存在することは難しいようだ。

新しい内閣は「美しい日本」を作るそうだけど、
僕なんかが思う美しい日本とは違うもののようで、
この国の言葉の乱れは新内閣でも加速する。
なにしろ義務教育で国語が重要でないらしいのに、
国旗国家や公益は大切だという美しさって、
「考えるな」「言う通りに従え」みたいなもので、
自分で世界を切り開く想像力など育たない。

それでも不思議なもので、言葉には力がある。
言った本人は全体の統率を「美」と考えても、
聞いた人は川端康成のような日本の美を考えたり、
僕のように、あらためて「美とは何か?」なんて、
しばらく忘れていた命題にぶつかったりする。
言葉はかくも変幻自在に登場するし、
その意味たるや夢のようなものなのだろう。

この「夢」であることが重要だと気がついた。
小泉内閣が教えてくれた通り、平和は戦争であり、
改革は保身でもあるとすれば、何でもありなのだ。
この国はますます混迷の度合いを深めるだろう。
だからこそ、自由に夢見ることも可能になる。
意味不明の言葉はこちら側に引っ張って、
新しい夢を文章につづる可能性が出てきている。