豊かさの秘密
夕食の時間に「サイエンスZERO」を見て、
終わったあとで無造作にチャンネルを変えたら、
2家族が10万円で何を楽しむかの違いを見せていた。
なにげなく見たので、あまり正確な記憶ではないけど、
一家族は年収400万円ほどの家族5人で、
もう一家族は年収1億円以上の4人家族だったと思う。
収入の少ない家族は一日遊園地で好きなだけ遊んで、
子供も両親も大満足で、それでも4万円を残した。
収入の多い家族は高級ホテルでランチを食べて、
それだけなのに10万円で足が出て何喰わぬ様子だった。
そのどちらが、より幸福かを人それぞれの感性だろうが、
僕には遊園地でたっぷり遊んだ家族の方が幸福に見えた。
それは僕だけの特別な感想ではないようで、
出演者も「お金持ちに幸せな人はいない」と言っていた。
どこまで行ってもお金でしか価値が計れない人は、
そうした見方を負け犬の遠吠えと思うかもしれないが、
どれだけ客観的に考えてもお金は少ない方がいいと思う。
お金で買えるものなどは高が知れているのに、
執着していてはそれ以外のものは見えなくなる。
人を押しのけてなる幸せは一本の棒の先にいる幸せで、
そこを維持する余りに他の世界が見えなくなってしまう。
じつは思いのほか世界は広いので、それに気付けば、
わざわざ追い求めなくても幸せはいつもそこにある。
こうしたことは昔から限りなく続いてきた教えなのに、
経済主義国の学校教育はそれをお金にねじ曲げる。
本来多様な価値観が共生している世界の実像を曲げている。
かくしてひたすら政府やマスコミの言う通りに学び働き、
自らの健康を損ねてまでも働いて得られるのは金と名誉。
さすがにお金だけでは誤魔化しきれないので名誉を与える。
かくしてますます本当の自分から遠ざかって死んでいく。
そんな不自然な世界をさっさと捨ててしまえば、
人は生きている限り幸せな時を過ごすことが出来る。
農作業だって工業だって、ゆっくり時間をかけて、
何人もの人とコミュニケーションを楽しみながらやれば、
その時間と空間が充実した幸せを織りなしていく。
お金を貯めて何処かへ行くのはたまの気晴らしだけでいい。
喜びの本体はお金を使う外ではなく家の中にあるだろう。
現代は豊かな時間と空間を忘れた人が多すぎる。
終わったあとで無造作にチャンネルを変えたら、
2家族が10万円で何を楽しむかの違いを見せていた。
なにげなく見たので、あまり正確な記憶ではないけど、
一家族は年収400万円ほどの家族5人で、
もう一家族は年収1億円以上の4人家族だったと思う。
収入の少ない家族は一日遊園地で好きなだけ遊んで、
子供も両親も大満足で、それでも4万円を残した。
収入の多い家族は高級ホテルでランチを食べて、
それだけなのに10万円で足が出て何喰わぬ様子だった。
そのどちらが、より幸福かを人それぞれの感性だろうが、
僕には遊園地でたっぷり遊んだ家族の方が幸福に見えた。
それは僕だけの特別な感想ではないようで、
出演者も「お金持ちに幸せな人はいない」と言っていた。
どこまで行ってもお金でしか価値が計れない人は、
そうした見方を負け犬の遠吠えと思うかもしれないが、
どれだけ客観的に考えてもお金は少ない方がいいと思う。
お金で買えるものなどは高が知れているのに、
執着していてはそれ以外のものは見えなくなる。
人を押しのけてなる幸せは一本の棒の先にいる幸せで、
そこを維持する余りに他の世界が見えなくなってしまう。
じつは思いのほか世界は広いので、それに気付けば、
わざわざ追い求めなくても幸せはいつもそこにある。
こうしたことは昔から限りなく続いてきた教えなのに、
経済主義国の学校教育はそれをお金にねじ曲げる。
本来多様な価値観が共生している世界の実像を曲げている。
かくしてひたすら政府やマスコミの言う通りに学び働き、
自らの健康を損ねてまでも働いて得られるのは金と名誉。
さすがにお金だけでは誤魔化しきれないので名誉を与える。
かくしてますます本当の自分から遠ざかって死んでいく。
そんな不自然な世界をさっさと捨ててしまえば、
人は生きている限り幸せな時を過ごすことが出来る。
農作業だって工業だって、ゆっくり時間をかけて、
何人もの人とコミュニケーションを楽しみながらやれば、
その時間と空間が充実した幸せを織りなしていく。
お金を貯めて何処かへ行くのはたまの気晴らしだけでいい。
喜びの本体はお金を使う外ではなく家の中にあるだろう。
現代は豊かな時間と空間を忘れた人が多すぎる。