「胸に手を当てて考えよう」

およそ100年前に日本がロシアと戦争を始めたときに、
トルストイがそれを批判して書いた文章が主になっている。
日本では戦前に一度翻訳され発表されているようだけど、
当局による出版停止や出版者の処刑などがあって、
戦後二度目の翻訳出版がこの北御門二郎訳になる。
またこの本には訳者が兵役拒否した実話も載っている。
トルストイが紹介しているロシアでの兵役拒否と、
日本における北御門の場合を比較して読むと、
あらためて日本文化のしたたかさを思わされる。
これは必ずしも否定的な意味で言っているのではない。

北御門訳のトルストイを読むようになったのは、
たしかJJ-PJのMLで推薦する人がいたからで、
読んでみると良くも悪くも100年の計がそこにある。
100年前も今も人間がやっていることは何も変わらず、
それでもわずかながら動いているものが見えるのが嬉しい。
少なくとも僕にとっては、自分の生き方としても、
一人一人が自立して生きることの大切さを再確認させられた。

「人が自ら自分に持ち込んだ様々の不幸、
 なかんずく最も恐るべき不幸である戦争から、
 確実に間違いなくまぬがれるのは、
 なんらかの外面的公共的施策によってではなく、
 ただただ我々一人一人が心機一転して、
 自分はいったい何者か?
 何のために生きていて、
 何を為すべきで何を為すべきでないか?
 を自らに問うことによってのみ可能なのである。」

100年前も今も変わらない真実を感じないではいられない。

さらにこの「自分とは何者か」に関して、
この本の中には「緑の杖」と題した文章が収められており、
トルストイが晩年にどのような人間観を持っていたかがわかる。
この文章にある人間存在の意味への洞察は哲学的で、
トルストイよりもドストエフスキーが優れていると思っていた僕は、
あらためてトルストイの価値を見直さずにはいられない。
なにしろここに書かれていることは池田晶子さんの文章と同じ、
人間にとって最も根元的な問いかけの答えでもあるのだから。