「丸山眞男-リベラリストの肖像」

僕は丸山眞男って人をほとんど知らない。
学生時代にも知らなかったし、その後も、
彼の著作は一編も読んだことがないと思う。
ただ戦後の日本思想と言った話になると、
かならずと言っていいほど彼の名前は出てくる。
どうもインテリのリーダーって印象だった。
そんな丸山眞男を紹介した本に出会って読んだ。
これがなんとも言えずに興味深かった。

彼の著作を何一つ読んでいない僕にとって、
この本は先入観なしに納得出来る何かがあった。
右翼と左翼が混沌とした環境の中で育ち、
学生時代には逮捕されて投獄された経験があり、
東大にいながら一兵卒としての軍隊経験もある。
父親からは新聞記者の世渡り上手を見て、
日本社会の何が真に頼るべきものか疑問を持ち、
終生議論を続けながら大家にはならなかった。
そのいずれもが自ら選択した人生を生きた人。

著者である苅部直の功績に負うところも大きい。
少年時代から丸山がどのような環境で暮らしたか、
予備知識のない僕にもわかりやすく読めた。
さらには東大に入って法学部教授になり、
60年安保や東大紛争をまっただ中で過ごす。
そうした日本国の最前線を突っ走りながら、
実は自分の行動や市民社会にさえ疑問を持って、
晩年は失語症ならぬ失文章にまで陥って、
ほとんど著作活動をしなかった人だとも知った。

これだけ日本の歴史の最前線にいた法学者が、
最後に信頼したものはどんな学問や思想ではなく、
孤独な個々の人間の自覚による交流だったと言う。
統一されたどんな真実にも反逆するエゴを超えた何か、
普遍的理性によって類型的人間になるのではなく、
啓蒙的個人主義や理性主義に反抗するロマン主義
国家や様々な組織の内側にあるイデオロギーや常識で、
世界を見る目が初めから作られているのではなく、
外側の他者にも心を思いやることが出来る人。

ここまで読み進んで、僕は少なからず驚いた。
戦後に登場した日本屈指の頭脳が考えたことは、
最後には僕らと同じ、他者を認める思いやりの大切さ。
それはただ結論だけを唱える人には決してわからない。
そこに至るまでに絶望も含めた多くの生きた経験が、
そこにしか行き場のない道筋として人間に再会する。
物語性の中にこそ真実は存在するのかもしれない。
そんなことを感じながらこの本を読み終えた。