馬鹿でけっこう

最近僕が参加しているMLで「イワンの馬鹿」が話題になっている。
トルストイの有名な作品なので、子供の頃に読んだ人は多いでしょう。
それが大人のMLで話題になっているのは、その内容の魅力からです。

トルストイはあまりにも有名なロシアの作家ですが、
日本では北御門二郎(きたみかど)さんの翻訳に人気があります。
その北御門さんは、つい2年前までご存命だったようですね。
彼はまた「カネと軍事力が国を滅ぼします」などの発言をされており、
これをうけて、「カネやモノを超える価値」や「社会の公正」が
2002年には春闘のテーマにもなったようです。

ご存知「イワンの馬鹿」は、三人兄弟で末っ子のイワンが馬鹿なので、
二人の兄や兄嫁にいいように扱われる、一見かわいそうな話なのですが、
日本にも「馬鹿でけっこう、利口で困る」なんて言い回しがあるように、
利口者はエゴによって人を不幸せにおとしめることが多いことを示唆します。
たしかに、利口であるとどういうわけか問題を起こすことが多いですね。
それに比べて人から馬鹿にされるイワンは黙々と大地を相手に働いており、
この働きによって、多くの人を助けることができている。

トルストイや北御門さんは、何を言いたかったのでしょうか?
イワンを邪険にする兄たちですが、イワンがいないと成り立たない生活、
自分を苦しめにきた小悪魔たちにさえ、受容の心で接する生き方、
そして自らの手足を使って、コツコツと大地に向かう姿の中に、
人間の本当に幸せな姿があることを伝えたかったのではないでしょうか。
こうした生活の魅力は、権利と利益しか考えない利口な人にはわからない?

現代人は産まれたときから死ぬまでお金まみれの考え方をするので、
お金さえあれば幸せになれると思いこんでいる人が多い。
あるいはお金がないために、自分は不幸だと思いこんでいる人が多い。
たしかにお金がないとどうにもならない税金などのことはあるでしょう。
だけど本来生きるために必要な衣食住の多くのことは、
必ずしもお金に頼らなくても何とかなることが多いのです。
耕す土地がなければ、土地がある人のところで手伝えば食べ物は手に入る。
まずは頭を柔らかくして自由にものを考えることが必要です。

お金を介在させることで得る利益もあれば、失う良さもある。
どんなことだって、いい面もあれば悪い面もあるのは当然です。
大切なのは、人間は自分の命を選択的に生きているってことであり、
どのように生きるかは、自らが決めていることだってこと。
何か問題があるとすれば、まず自らの内側に原因を探すべきで、
それを解決出来れば、外側も必然的に変わるのだと思う。

さて、あらためて自分のこととして考えてみると、
ぼくはまだまだ外側に対して余計な発言をしすぎる傾向がある。
もっと寡黙に土と自然に向き合って暮らしていこう。
それが僕の幸せであり、みんなの幸せにも繋がるのだと思う。