お金に頼りすぎない

富山市のサンフォルテ祭に行ってきました。
シャキット富山35が主催したワークショップで、
「これからの働き方・生き方」に参加して、
そのあと、平和を作る富山県連絡会主催の、
「ビデオで見る戦争と平和」を見てきました。
一見まったく関係のない催しのようですが、
この日に数ある催しからこの二つを選んだのは、
昔と今との人々の思い込みに関心があったからです。
今の人たちは当時より自由で賢そうですが、
本当にそうなのかどうか考えてみたかったのです。

その結果として、深い思い込みの中で生きている姿は、
今も昔も変わらないのではないかと感じました。
当時最先端のメディアであった政府公報の映画を見て、
人々は、たとえば満州へ行って開拓農民になれば、
豊かな未来が約束されると思って移住していく、
その陰に隠された被抑圧者のことは救済対象でしかない。
同じように現代では、最先端のマスコミによって、
人々は少しでも多くのお金を稼ぐことが奨励されている。
それはまるで、山下清が言う「兵隊の位」と同じです。

100年前に文盲の人たちが信じ込んでいた、
「三等兵よりは上等兵が、上等兵よりは大将が偉い」と同じ、
今では中途半端にマスコミ的教養ある人たちが、
「少しでもたくさんのお金を稼ぐ人が偉い」と思っている。
だからこそ、多くの人はその偉さの公正を求めて、
ホリエモン村上ファンドや福井日銀総裁を叩く。
だけど問題の本質はそうした価値観そのものにあると思う。
お金を稼ぐことを第一価値のように合理化を進め、
その結果として、本来人間が求めている幸せを見失っている。
人間の幸せはもっと自然で多様なことを忘れている。

そうした誤謬に陥らないための大きな指針こそ、
具体的な衣食住の自立に礎を置く人間性の自立だと思う。
現代社会における個々の問題を検証することは大切だろうけど、
その視座として、お金と合理化の成績主義こそ問題ではないのか。
このところ、そんなことを考えながら暮らしている。
その意味では、富山県でもっとも問題意識の高い人たちが、
「これからの働き方・生き方」を討論していながら、
その内容のほとんどが、経済格差問題に終始していたのは残念。
なにしろ保守王国に住む人々の頭は固い。