自由に生きる

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北陸平和映画祭の準備中に、
いくつか珍しい体験をしました。
その一つに、富山国際大学での講演があります。
映画祭の広報もやっていいと言われて引き受けましたが、
「私の生き方」というテーマで1時間半の持ち時間でした。

一ヶ月以上前に要請を受けていましたので、
何を話すかは事前に考えていました。
ちょうどチェルノブイリ事故から20周年目に当たる、
4月26日が公演日だったので、原発のこと。
これは映画祭で「六ヶ所村ラプソディー」を上映するので、
ちょうどいい題材でもありましたし、
僕自身学生時代から原発推進には疑問があったので、
その関わりも話すことにしました。

また講演の対象が学生だと言うこともありましたので、
なるべく自分が学生の頃に何を考えていたかを思いだし、
その頃の自分と今の自分との関連を考えることで、
自分の生き方とはどんなものだったかを考えたら、
「自由に生きる」と言う演題が自然に出てきました。
そこでまず、二つの自由がある話から始めることにしました。
一つは「権力により構築されて守られる自由」で、
もう一つは「執着を離れて自然に近付くことによる自由」です。

次に今回の講演内容をどのようにまとめるかと考え、
「自由に生きる」ことが、どうして平和映画祭のような、
公共的な活動をすることになるのか、
その意味と繋がりを伝えることでまとめることにしました。
自由に生きることを「好き勝手」に生きることだと考えると、
なぜ公共的な活動に繋がるのか不思議に思われるでしょうから、
その関係を理解してもらうことがポイントになると考えたのです。

そこで沖縄の珊瑚礁の話をしました。
30年前には生き物に満ちあふれて豊かだった珊瑚礁
それが経済開発と共に死滅して廃墟になってしまった。
自分が美しいと感じて愛してきたものは人にも伝えたい、
人に伝えて共感してもらえたときに喜びは限りなく広がる。
ところがそうした美しいものが失われてしまうと、
愛する人にそれを見せて喜んでもらうことも出来なくなる。
だから喜びを守るためには公共的な活動も必要になる。

およそこんな話で、いろいろ脱線しながらも、
無事に持ち時間をこなせたように思っています。
およそ200人近い学生も熱心に聞いてくれたのですが、
最後に質問をする学生が少なかったのは残念ですね。
それでもまあ、貴重な体験は面白かったです。