(1)教育という神話

この「生きる意味」はデビッド・ケイリーが書いており、
晩年のイリイチにインタビューしたものをまとめている。
そのために、必ずしも論点が整理された話ではない。
ケイリーはそうした観点は序論で前もって整理しておいて、
本編では極力自由な対話を記録する態度を貫いている。
したがってこれから10章に渡って書かれている内容は、
それぞれ内容の要点を匂わせるタイトルは付いているけど、
必ずしも、そのタイトル通りに話しているわけではない。
全体としてイリイチの思想と人物像がわかれば良しとします。

それでも序論がそうだったように、年代を追って変化する、
イリイチ思想の変化や成長がわかる構成になっている。
その最初が教育の話題で、「脱教育」がどこから来たのか、
インタビューを通してしっかりと明らかになっている。
彼は子供の頃からあまり学校教育を受けてはいなくて、
長いあいだ学校に対する関心はなかったと言っている。
それが1956年にカトリック大学の副学長になって、
翌年プエルトリコ政府の教育高等諮問委員会メンバーとなり、
それ以来10年かけて、教育の実態は何かと考えたようです。
その結論わかったのが、「人々を強制的に学校へ通わせる事は
構造化された不公正である」ということだったのです。

イリイチは政府の人的資源企画委員会の企画会議で、
ボトルやブラジャーのように企画される教育に困惑します。
自分が関わる農民たちを人的資源と見なすことに困惑する。
そしてフランスのカトリック哲学者ジャック・マリタンから、
「企画とは新種の傲慢の罪」だと聞かされることになる。
学校側が当然のこととして主張する教育を行う権利や義務を、
ひとまず括弧でくくっておいて、学校は何をしているのか?
と自問することで、真実を突き止めようとしていきます。
その結果、プエルトリコでは学校システムの開発によって、
「半分の子どもたちの生まれつきの貧困を一層悪化させ、
さらに、かれらの内面に、教育を終了していない事に対する
新たな罪悪感を植え付ける事に役立っている」と気付くのです。
そして「学校とは脱落者を生みだすシステム」結論づけます。

こうして発表された脱学校の考えは急速に広まりますが、
彼は教育そのものを否定していたわけではなかったのです。
当時のイリイチは学校を非公立化することによって、
学歴不足を理由とする差別はなくなると考えていたようです。
それは教会と同じように、国家から独立を保ちながら、
すべての人間を抱え込んで普遍的である共同体という現象です。
教育制度は精神を麻痺させ、自力では学べないと教えこみ、
その結果実際に力を奪って、障害を負わさせてしまう。そして、
さらに自家中毒的に新たな不公正を助長していくとみたのです。
それなら政治社会権力と一線を画す教育にすればいいと考えます。
学校教育とは現代社会の進歩と開発を信奉する神話を形成する
不可欠な儀礼の場所と見抜き、そこから脱することを説いたのです。

その後ほかの研究者がイリイチの考えを裏付ける発表をします。
たとえば、ある人間の学校教育に費やされたお金と、彼がその
職業から得る収入の総額には密接な相関関係があるのに、
その職業における有能さとの相関関係はないということです。
教育は資本投資であると同時に、社会の等級付けでもある。
また教育によって被る中毒症状は、今では学校に限られません。
テレビやマスコミによる広い意味での教育が人々を無力にして、
教育を受けない限り自分では何もできないと思いこませている。
誰も持ち得ない稀少性を追い求める神話を定着させている。
この点については、さらに次の章で展開されていきますが、
これがイリイチにとって新しい問題の気付きとなっていくのです。