「生きる意味」・序論Ⅰ

インタビュアーのデイヴィッド・ケイリーは、
イリイチが生涯を通して何を訴え続けたのかを、
この序論を使ってわかりやすくまとめています。
イリイチが残した業績のダイジェスト版とも言えるので、
まずはこの部分を検証しておく必要がありそうです。

ここで最初に紹介される逸話は象徴的なものです。
1926年に生まれた赤ん坊だったイリイチが、
アドリア海に浮かぶ祖父の島に連れて行かれたとき、
同じ船で島に初めて拡声器が持ち込まれたと話している。
この拡声器こそやがて世界を根底から変えてしまう先魁でした。
イリイチは書いている。「静けさは、コモンズではなくなって、
 拡声器がそれを奪い合う対象としての資源となったのです。」

続いて(儀礼としての学校教育)についての説明がある。
ケイリーはここでも慎重にイリイチの言葉を引用して、
「学校教育は、半分のこどもたちの生まれつきの貧困を悪化させ、
 かれらの内面に、教育を終了していないことに対する新たな
 罪悪感を植え付けることに役立っている」と書いている。
儀礼としての学校教育に参加していることを前提条件にして、
仕事に就ける人と就けない人を作り出す差別の始まりである。
ここから、脱学校化社会というイリイチの言い回しが登場する。

こうして学校教育に疑問を持ったイリイチの研究は、
すぐにまた(「開発」批判)として広がりを見せていく。
クエルナバカでは異文化間資料センターCIDOCが開かれ、
1968年には既に開発の欺瞞について訴えている。
「富める国々は貧しい国々に対して、交通渋滞や病院内への閉じこめ、
 そして学校の教室といった拘束衣を、善意によって押しつけている。
 そして国際的な同意にもとづき、それを『開発』と読んでいる。」
こうしてグローバライゼーションとの戦いが始まるのです。

さらにイリイチは、当時動き出していた環境保護運動に対して、
クリーン・テクノロジーの導入で産業社会を改造しようとしても、
問題の物質的次元しか考慮していない以上失敗に終わると言っている。
ここで登場するのが(コンヴィヴィアリティのための道具)である。
「高度に資本主義的な道具は、高度に資本主義的な人間を必要とする」
これに対して、conviviality(ともに生きること)が求めているのは、
使用者の資格証明が必要ない、使用する義務もない、使用者が、
自分の意図と活動というかたちで表現するだと言うのです。

ここまででやっと「序論」の三分の一まで進みました。
したがって序論を読み解くだけで3回は掛かると思いますが、
なにしろ内容が濃いので、適当に端折るつもりもありません。
今回は最後に、僕が好きな言葉を転載して終わります。
「環境危機の唯一の解決策は、人々がともに働くことができ、互いに
 気づかいあうことができるならば、自分たちはより幸せになることが
 できるという洞察を共有することに存する」イリイチ