石黒家の人々

久しぶりに大長谷で石黒完二さんと話をしてきた。
石黒完二さんは僕に自然農を教えてくれた人で、
「富山自然農を学ぶ会」の代表でもある。
試行錯誤しながらのその生き方は強烈で、
今では富山市になってしまった八尾の山中で、
もう10年以上も電気のない暮らしをしている。

水道は山の沢水を直接引いて使っているし、
食事の煮炊きや暖房には薪ストーブを使っている。
電話もなければ携帯電話も通じない生活だ。
常識で頭の固くなった人がそのように聞けば、
原始的で不自由な生活を思い描くかも知れないが、
実際にそこにいると何不自由することはないし、
むしろ人間が本来持っている能力が活かされる。

スイッチ、ポンでは何も出来ない代わりに、
家族の全員が必要不可欠の役割を担っている。
こうした生活をすべての人には求められないけど、
このような生き方もあると知ることによって、
僕らが普段常識だと思っていることに風穴が空く。
電気、ガス、水道、電話がないと暮らせないなんて、
ほとんどの人は、自分の可能性を殺しているのだ。

さらに石黒家には6人の子供がいるのに、
誰一人として学校に行かずに育てられている。
現代の学校制度の中で教えられることは、
子供を育てるより疎外することが多いとの考えだ。
それでも石黒家のこども達は皆立派に育ち、
長男は北海道で漁師の仕事を手伝っているし、
次男は完二さんの家業の多くを手伝って、
普通なら中学生の三男さえ農作業のプロだ。

一番下のまだ小学生年齢にも達しない子が、
食事の後片づけで食器をきれいに片付けている。
こうして親から躾られた子が学校へ行けば、
まず間違いなく躾られた作法を失っていくだろう。
テレビとゲームなしではのけ者にされるだろう。
現代における学校の利点と弊害を比べたときに、
弊害の大きさを思わずにはいられない。

「生き方としての自然農」を教えてもらい、
それからは様々なことを話し合うようになった。
口先ばかりの環境運動や平和運動ではなく、
「答えを生きる」とは何かも学ばせてもらった。
こども達の成長を一緒に見守る楽しみもある。
それは学校や政治に依存するのではなく、
自分たちが責任を負っているからでもある。