「ニュートンの海」

ニュートンが生まれた1642年当時には、
まだ自然科学というものは存在していなかった。
彼が進学したケンブリッジ大学では、
当初は数学を担当する教授さえいなかったらしい。

そんな環境の中で、貧乏学生だったニュートンは、
スカラーシップを得るための勉強をする内に、
当時まだヨーロッパ大陸でしか広まっていなかった、
デカルトの「幾何学」などの数学に出会う。
その直後にペストの流行で大学が閉鎖されると、
彼は家に帰って自分で考えた疑問に取り組み、
1666年に掛けての奇蹟と呼ばれる一年間で、
既にニュートン力学の全体像に行き着いている。

その後は徐々に国王の権威や大学に寄り添いながら、
誰もが成しえなかった数字による世界の解読をして、
「プリンピキア」の大著を書き上げている。
彼の人物像はおよそ奇人変人の類だったようで、
30代にしてボサボサの白髪をそのままに、
食事もそこそこに部屋に閉じこもっていたらしい。

当時の世界でもっとも優れた知識とされた、
錬金術占星術にも強い関心を持ち続けて、
彼自身が水銀による中毒の疑いもあったようだ。
自ら望んで造幣局の責任者になったのは、
この錬金術に対する憧れだとも指摘されている。
そしてまた多大な財産と地位も手に入れている。

その人となりを読んでいると実に興味深く、
それまでの世界には存在しなかった、
数字による科学がどのように登場したのかが、
面白く目前に見るように描かれている。
またライプニッツとの確執も興味深い。
死ぬ間際まで精力的に研究を続けて、
地位も名誉も財産も築いていながら、
生涯結婚もせずに子供もいなかった人でもある。

アイザック・ニュートンの人間を浮き彫りにする、
多大な労を注いだであろうこの本に敬服する。