パソコンは30年前から・・・

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(多摩市に住んでいた頃の近くの公園)

最初にパソコンと向き合うようになったのは、1970年代で、
僕は日本語のワープロとして、興味を持ったのが最初でした。
関心はあっても、当時はあまりにも高価で手が出せず、
80年代になってようやく手に入れたのは、シャープのパソコン。
それはほとんど役に立たない、遊び道具だった気がしますが、
90年代にワードや一太郎のソフトが登場すると、一気に実用化する。

その頃僕は、印刷会社のコンピューター室を任されましたが、
コンピューターのことはほとんど分からず、人の管理を任されたのです。
そして身近にコンピューターがあることで、関心も広がり、
当時はまだ高価だった、50万円くらいするノートパソコンを買った。
これによってWWWが身近になり、ネット通信が盛んになって、
僕もプロバイダーに参加して、ホームページも開くようになりました。

ちょうどバブル経済が弾けて、会社勤めも世知辛くなり、
銀行から役員が派遣されると、会社の雰囲気も変ってしまった。
僕を会社に誘ってくれた社長も亡くなって、心も離れてしまったので、
これを機に、東京を離れて暮らすことを考えて仕事を辞めました。
実際に仕事を辞めたのは、1999年だったようですが、
この頃既に日記をアップしており、今でも読むことが出来ます。
http://www.geocities.jp/isop805/index.html

ただしこのページは、そう遠くない将来に閉鎖されるようで、
とても残念ですが、いつまで見られるかは分かりません。
1999年4月~2005年6月まで、記録が残っており、
そのあと現在のブログに、場所を移したという次第なのです。
この6年間にも様々なことがあって、忘れがたいのですが、
記録がなくなってしまえば、すべては消滅してしまうでしょう。

気がつけばもう、今のブログを書き始めてから14年になり、
初めてウエブ上に記録を残してから、20年の月日が過ぎるのです。
もうパソコンのない世界など、想像するのも難しくなりましたが、
こんなコンピューターの世界なんて、たかがこの50年に過ぎません。
僕の人生にさえ、コンピューターのない時代はあったし、
それが決して不足していた時代ではないことも、知っているのです。

2005年にこのブログで、イリイチの「生きる意味」を考察し、
その序論から引用している言葉が、今も何も変っていないと感じます。
「学校教育は、半分のこどもたちの生まれつきの貧困を悪化させ、
 かれらの内面に、教育を終了していないことに対する新たな
 罪悪感を植え付けることに役立っている」

「富める国々は貧しい国々に対して、交通渋滞や病院内への閉じこめ、
 そして学校の教室といった拘束衣を、善意によって押しつけている。
 そして国際的な同意にもとづき、それを『開発』と読んでいる」

「高度に資本主義的な道具は、高度に資本主義的な人間を必要とする」

「環境危機の唯一の解決策は、人々がともに働くことができ、互いに
 気づかいあうことができるならば、自分たちはより幸せになることが
 できるという洞察を共有することに存する」

こうしたイリイチの言葉は、そのまんま今考える必要があると思うのです。