2019年

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新年明けまして
おめでとうございます!

こうしたご挨拶は、長年あたりまえにしていますが、
今年は改めて、挨拶できることに感謝したい気持ちです。
悠久の時と地平の中で、今ここに自分が存在していること、
この奇蹟とありがたさに、身の震える思いをするのです。

しかしこの有り難き幸せは、それなりの人生経験を得て、
初めて感じうるものですから、瑞々しい年代にはわからない。
たとえ文献や講義によって伝えられても、理解は難しくて、
それなりゲートをくぐり、前に進まないと分からないのです。

あるいはだからこそ、年齢を重ねることには意味があって、
その到達点で初めて知る喜び、というものもあるのです。
無窮世界の真実を知りたい、と願ったのは何故だったのか?
それを知らずして、どんな価値も意味をなさないから?

20代で旅の暮らしをしていたときに、真実は見えた、
と思ったのに、30代で会社勤めをしたときにもそう思った。
40代で再び自由な生活に戻り、市民活動などをしながら、
世界のあるべき姿を求める暮らしを、生き方にしたいと願った。

そのように一貫して真実を求め、50代で到達したのは、
人間的パステージの限界と、それを超えた地平での暮らしです。
そんな大仰なことを、自分がなしえたと思うのは不遜か?
そうではなく、これは誰でも到達できる場所だったのです。

朝日を拝み、夕日に祈り、大地に向かって立っていれば、
自分が何をすべきかは、その時々に応じて自然と分かってくる。
そこに生き方としての自然農があり、神とも対話しながら、
我々の世界とそれ以外の世界と、やがて混沌と交わっていく。

あらゆる問題の本質は、方向性としてのみ存在するので、
常に常に生きることによってのみ、良きことも存在できる。
善きことがあるから生きるのではなく、どんな人であれ、
生き方そのものの中に善きことはあって、光り輝くのです。

本年もよろしく、お願いいたします。m(_ _)m