「望まれない未来で私は待っている」

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写真左側のポスターは、最近話題となったもので、
どこかの学校の課題で作られた、環境啓発ポスターです。
緑色のカラーペンがかすれて、やがて消えてしまい、
森林環境とダブらせて、「緑はもう、ないかもしれない」
と書いてあるところが、見る人に多くのことを考えさせます。
僕も確かに、よく練られてセンスの良いポスターだと思う。

そこでどんな人が作ったのかと、調べていたら、
どこかのデザイン会社に、就職が決まった学生らしい。
そのポスターを書いた、∀steroidさんのことを知りたくて、
画像の載せたTwitterを見ていたら、他の人の画像もある。
そのたくさんアップされた画像に、気になるものがあったので、
無断転載ではあるけど、右側に乗せておきました。

イラストレーター/非常勤講師、と書かれていますから、
この人はプロなのだと思いますが、この絵のコメントが良い。
「望まれない未来で私は待っている」とあるのは、
うさださんという人が書いた、この絵に添えられていた言葉。
特に題名とは書いてないけど、僕にとっては題名と同じで、
何とも言えない深いイメージを、連想させるのです。

∀steroidさんにしても、うさださんにしても、
まだ若いこの人たちの未来は、けっして明るくない。
むしろ絶望的なものを含みながら、だけど何か輝いている、
その輝きが何なのか、とても興味を持たされるのです。
緑に満ちて、環境が豊かだった時代に生まれ育った僕らは、
将来を危惧するあまりに、負の側面ばかりを心配する。

だけど生まれたときから、自然環境が危うい時代だった人は、
さらなる未来に向けて、何を抱いて生きるのだろうか。
そこには絶望を超える何か、新たな希望があっていいと思うし、
実際にこれからの時代を生きる人は、新たな未来を描くでしょう。
それは決して絶望的なものではなく、夢を育むはずのもので、
うさださんは、そこで「待っている」のだと感じるのです。