ジュリー!

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樹木希林さんが、テレビ番組の中で「ジュリー」と叫んでいた、
そのジュリーこと沢田研二は、今でもコンサートを続けています。
タイガースのボーカルとしてデビューした、その当時から、
彼の歌唱力は抜群で、聴けばすぐに歌の世界に入っていける。
デビュー曲の「僕のマリー」を今聴いても、そのうまさが分かるし、
日本にGSブームを作ったのが、ジュリーだったと納得できる。

僕が初めてジュリーを知ったのは、まだ中学生の時でしたが、
当時ちょっと付き合った同級生の女性が、タイガースのファンでした。
小柄で少し目が悪い子で、よく本を読んでいたのが印象的でしたが、
どちらかと言えば不良っぽく、コケティッシュな雰囲気があった。
彼女が好きだというタイガースの曲を聴いて、新鮮さに驚き、
どこか大人びた彼女に、急速に惹かれたのを覚えています。

二人が付き合う証に、大切にしていたペンダントを預かりましたが、
それをロケットと言っていたので、写真が入っていると思い込み、
その写真を見たいと思って、ペンダントを壊してしまった。
彼女は母親とは一緒に暮らしていなくて、そのペンダントこそ、
母親からもらった、大切な思い出の品物だったことは、
だいぶ後になってから、ようやく気付くという鈍感さでした。

それでも通学路の裏で何度か会って、まだ中学生だった故に、
どう付き合って良いのかよく分からず、二人でいるだけで高鳴った。
そして彼女と会わなくなってからも、タイガースの曲は残り、
沢田研二がソロで歌うようになってからも、僕は彼の歌を聴いていた。
ちょうどビートルズや、ローリングストーンの全盛期でしたが、
僕は大学へ進学してからも、日本人ではジュリーの歌が好きでした。

20代を旅で過ごすようになって、流行歌を聴くことは減りましたが、
ジュリーの曲は次々にヒットしたので、どこにいても耳に入る。
さすがに海外にいたときは、遠ざかっていたのですが、
その頃は歌どころではなかったし、新しい世界に浸かっていました。
それが再び日本で暮らすようになった頃、カラオケが流行って、
僕は井上陽水とジュリーの曲を、得意になって歌ったのです。

しかし新しい曲は聴くことなく、カラオケも歌わなくなって、
やがてジュリーも、過去の存在のようになっていきました。
だけど彼が原発に反対したり、アベノ独裁を批判する発言を聞いて、
あらためてジュリーと言う人物に、興味を持つようになりました。
僕よりいくつか年上で、もう70歳前後だろうと思うのに、
他の人が真似できないような、内容の濃いコンサートを続けている。

つい先日は、さいたまスーパーアリーナでドタキャンがあり、
芸能界をお騒がせもしているようですが、本人は至ってクールです。
取材に押しかけた報道陣に対しては、「ステージ上で話します」と答え、
実際次の公演の時に、ステージからファンに向かって謝罪したとか。
それもはっきり理由を述べて、ファンも納得したと言うから、
往年のスーパースターは、今も健在と言うことでしょうか。

ジュリーは特別な存在で、僕がNHKでアルバイトをしていた頃、
彼が出演するときだけは、放送センターがざわついていたのです。
女性職員が次々に収録を見に集まり、それでも彼はクールで、
本番以外はほとんど片隅にいて、人とは話さずに神経を集中させていた。
どこかストイックにさえ見える姿は、他の出演者とは違っており、
単なるアイドルではない、人間としての憧れさえ感じさせたのです。