命あるものの美しさ♪

イメージ 1

今日は敬老の日、だからと言うわけではないけど、
古い写真を見ていたら、美しい魚の写真に目がとまりました。
いやただ美しいだけなら、もっと他に色々ありますが、
今日の写真はカスミアジで、僕が大好きな魚の一つです。
何故この魚が好きかと言えば、美しいからですが、
この美しさには、命が尽きると消えてしまう儚さがある。

明るい太陽の光が差し込む、珊瑚礁の海の中でも、
ひときわ美しく輝くカスミアジも、命が尽きると輝かなくなる。
同じようにシイラなども、海の中では美しいライトブルーなのに、
釣り上げてしまうと、まもなく輝きが失われてしまいます。
沖縄で海に潜ることを覚えた頃は、貝や魚を捕るのが目的で、
その美しさなどには、あまり関心が無かったでしょう。

その後はスキューバもやるようになって、海を潜り歩き、
気がつけば珊瑚礁の美しさが、次第に失われていくのを知った。
命あるものの美しさは、死んでしまえば見るも無惨な屍で、
自分は何を価値として生きるのか、考える転機ともなりました。
豊かな命の世界を守るには、どうすれば良いのか?
環境意識に目覚めたのは、海を通してだったと思います。

命あるものの美しさに誘われて、海に潜りながら、
いつしか獲物を捕るよりも、写真を撮るようになりました。
美しい被写体は、珊瑚礁の入り組んだ浅瀬に潜むので、
キューバで出会うことは難しく、シュノーケリングが相応しい。
だけどシュノーケリングでは、長くは息が続かないから、
出会った被写体を、うまく写真に収めるのは困難なのです。

入り組んだ珊瑚礁の中で、これはと思う相手を見つけたときは、
その場で写真を撮ろうとしても、相手は待ってくれません。
そこで頭を使って、相手がどこに現れるかを推測して、
そこへ先回りして、待ち伏せをしてシャッターを押すのがいい。
1分くらい潜っていれば、目と目が合った相手なら、
かなりの確率で戻ってくるので、待ち伏せもしやすいのです。

このカスミアジはそんな待ち伏せで、良い写真が撮れたし、
ロウニンアジの時は、カメラを構えた目の前に現れて撮りました。
そのほかにもたくさんの魚の写真は、ほとんどがそうやって、
シュノーケリング待ち伏せして、撮ったものが多かったのです。
今ではもうそう長く潜れませんが、この写真を撮った頃は、
水中で2分くらいは、待ち伏せしていたように思います。

ちょうどデジタルで、水中写真が撮れるようになった頃に、
僕は会社勤めを辞めて、じっくり写真を撮るようになっていました。
1999年から2005年頃に、技術は格段に良くなっており、
それより前では難しく、それより後では珊瑚礁が滅んでいく。
そうした奇跡的な時期に、ゆっくり珊瑚礁を楽しんで、
美しい魚の写真が撮れたことは、僕の生涯の自慢なのです。