クラブハウス・ロード

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春から週に2~3日、給金仕事をしています。
車を使わなくても、徒歩で通える場所にあるので、
今は少し早めに家を出て、のんびり散歩通勤ですが、
その途中に紡績工場があって、そこを眺めながら歩く。
この風景は、細かい違いはできているのでしょうが、
僕が子どもの頃から、良く見知っている景色と変らない。

それはもう60年近く前の景色で、紡績工場に独特な、
三角屋根の建物が並ぶ手前に、クラブハウスがある。
このクラブハウスがおしゃれな感じで、子ども心にも、
魅力を感じていたのを、よく覚えているのです。
工場の紡績会社は、昔は呉羽紡績だったはずですが、
その後の合併によって、今は東洋紡績となっています。

僕が中学生の頃まで、父はこの紡績工場の社員で、
何度もこの敷地内に入って、運動会や文化祭を見ました。
時代の流れと共に、そうした催しはなくなったようで、
敷地内に入ることも、今では滅多にありません。
井波のよいやさ祭りの神輿が、毎年この敷地で休み、
昼食を取るのに、中へへ入る程度でしょうか。

60年変らないこのクラブハウスは、僕が勝手に、
クラブハウスと呼んでいるだけで、違うのかも知れない。
父と一緒にここへ入った記憶では、確かビリヤードを、
やっていた気がしますが、別の場所だったかも知れない。
それでも僕にとっては、父との数少ない記憶の中で、
このクラブハウス・ロードは、よく覚えているのです。

このあたり全体が、なんだか颯爽とした雰囲気で、
当時の人たちの小粋さ加減が、よく現れていたと思う。
今はなくなっている社宅には、工場長の家もあって、
そこは他の長屋社宅とは格が違う、広い一軒家でした。
工場長の息子が、同級生だったことが何年かあって、
いかにも勉強家だったのを、今でも覚えています。

家が比較的社宅に近かったので、社宅の子たちとは、
よく遊んでいましたが、彼らは転校も多かった。
井波は古い町なので、定住している人が多い中で、
転校生は珍しく、ちょっと違った雰囲気があったと思う。
町人と農民と、それとは違う会社員との区分があって、
ある種の世界を作っていたのが、今では懐かしい。