最初は映画でした!

イメージ 1

人の喜びは、一番に生まれてきたこと、
二番に、親に愛情をもって育てられたこと、
三番に、子を愛情を持って育てること。
これは映画「夏美のホタル」で、学んだことでした。
考えてみれば、僕は多くのことを映画から学んでいます。

田舎の高校生だった頃、学校の授業は退屈で、
深夜ラジオばかり聞いていて、成績は下がっていく。
そんなときに映画館で見た、「ライアンの娘」は刺激的で、
何か映画を作るような仕事がしたい、と思ったのです。
当時は井波にも映画館があって、その映画館には、
二階に桟敷席があって、そこに転がって見ていました。

ところが見ている内に、圧倒的な映像の迫力や美しさと、
刺激的な内容に突き動かされて、居ずまいを正して見始めた。
そして今まで興味がなかった、歴史や戦争や人間哲学に、
少しずつ惹かれるようになって、大学進学を目指しました。
高校自体が進学用の普通科でしたから、それまでは、
漠然と進学すると思っていても、目標があったわけじゃない。

ただ成績に合わせて、偏差値が高い大学へ行けばいい、
くらいにしか思っていなかったのが、変ってきたのです。
映画を作るには、どんな大学へ行けば良いのかと考え始めて、
早稲田か、立教か、明治大学へ行きたい、と考えました。
結果として立教大学へ入学すると、映研を探したのですが、
それはなかったので、放送研究会に入部しました。

授業よりも部活が中心の大学生活で、喫茶店に入り浸り、
今思えば無駄な時間とも思える、麻雀にものめり込みました。
部活はサロン化していて、飲み会だけが活発であり、
作品を作ることは、少なかったと記憶しています。
そんな中でも放送作品を作りましたが、満足はできないし、
さまざまな理屈が邪魔して、思ったような創作にはならない。

何人もの個性ある人が、それぞれの考えを持ちながら、
一つの作品を作り上げる難しさに、行き詰まったのです。
そのころから小説に取り組むようになり、旅をするようになり、
池袋の文芸座で、映画「神々の深き欲望」を偶然に見ました。
スクリーンの中にある、その海の美しさが圧倒的で、
こんな美しい海が実際にあるなら、見てみたいと思った。

そして与論島を皮切りに、沖縄の海へ行くようになって、
やがて表面的な美しさだけでなく、潜りの楽しさを覚えます。
さらには同じ宿にいた、中南米帰りの串田さんという人が、
映画や小説に興味があるなら、アメリカへ行った方が良いと言う。
そこで僕はアメリカを目指し、東京へ戻ってバイトをして、
資金が貯まったところで、ロサンゼルスへ飛び立ったのです。

アメリカに一年半滞在した後、永住権を取ろうと思って、
一度日本へ戻ったところで、初めて日本の魅力が僕を打ちます。
アメリカでの暮らしは、大変なこともありましたが快適で、
簡単な仕事をするだけで、プール付きのアパートに住んでいた。
ちょうど「スターウォーズ」が公開された年で、遊びも覚えて、
何不自由のない暮らしが出来そうなのに、忘れ物に気づいたのです。

自分が本当にやりたいことは、ただ快適に暮らすことではない、
苦労しても心に描いたものを表現して、作品に仕上げたい。
そんな欲求が沸々とわいてきて、新日本文学学校に入学、
そこで書きためていた原稿を整理して、最初の本を作ったのです。
やがて山浦家での暮らしが始まり、15年ほど続いたのだから、
僕の人生は映画から始まり、ようやく子育てに辿り着いたと言えます。