いくつもの夢を見てきた

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人生を俯瞰して見る年になると、様々なことが懐かしく、
あらためて、生きていることの素晴らしさに驚きます。
様々な場所にいて、信じられないような体験をしてきたのに、
終わってしまえば、何事もなかったような静けさがある。
「迷ったらやってみる」と考えて、判断に迷うと行動したけど、
大胆な行動だったことも、今にして思えば懐かしいのです。

34歳で就職したときは、年賀状を個人印刷する会社で、
イオニア的な仕事でしたから、9月から12月は忙しかった。
毎年春から夏までの半年間は、沖縄を中心に旅をしていて、
秋から冬の半年間を、その印刷会社で仕事をしていたのです。
もう30年前の話ですが、三か月間に休みは3日ほどで、
残業も天井知らずで、月に60万円以上稼いだこともある。

就職する直前の年には、僕が責任者だった部署だけで、
100人を超える人が働いて、その中には正社員も3人いた。
アルバイトの僕が、正社員を部下にしていても違和感はなくて、
同じく年賀期間だけ仕事をする仲間が、サブで何人かいた。
9月に場所の設営をして、10月から12月はお祭り騒ぎで、
1月から2月までが、残務整理の期間だったのです。

20代の後半に、自由に生きることの魅力を知った僕らは、
東京にいても、夜には遊びまわっていた記憶があります。
新宿三丁目界隈を中心に、仕事を終えて飲みに行くと、
翌朝まで飲んで帰ったこともあったし、職場で寝たこともある。
家に帰れば翌日出勤が難しいと思えば、そのまま会社へ戻り、
床に段ボールで寝ていれば、出勤した人が起こしてくれたのです。

当時は結婚する気はなかったし、それでも彼女は欲しくて、
たいてい誰かと付き合ってはいても、長続きはしませんでした。
今はガンでなくなっている、当時は飲み友達だった女性が、
あの頃どんな気持ちで遊んでいたのか、今でも考えたりします。
新宿の街中で、交差点に立ち止まって大胆にキスをしたり、
渋谷界隈で酔っ払って、大騒ぎしながら送っていったこともある。

その彼女がある日、一緒にホテルに泊まった翌日から、
連絡が取れなくなって、数日後に結婚したと案内がありました。
キツネにつままれたような気持ちで、彼女にお祝いを届け、
それが縁で、彼女の結婚後も飲み友達として付き合った。
ご主人も紹介されて、家にも遊びに行くようになりましたが、
それから何年かして、彼女はガンで亡くなってしまったのです。

彼女は僕と付き合った当時から、自分がガンだと自覚があり
元気なうちに結婚したかったから、結婚しない僕に見切りをつけた。
結婚した相手は財力もあって、手術をしてしばらく元気で暮らし、
男の子を一人産んで、そのまま健康になると思っていた矢先に再発。
念願だった沖縄暮らしのために、別荘を建ててもらったのに、
その4年後には、帰らぬ人になってしまったのです。

彼女は人生にどんな夢を見て、その夢は叶ったのだろうか?
夢は叶うというよりも、夢見ることそのものが魅力的で、
人生そのものが、夢のようなものかもしれないと思ったりします。
人は人によって幸せになるのだとすれば、恋は魅力的な夢で、
叶うにしろ叶わぬにしろ、見ないよりは見たほうがいい。
人生に忘れがたい思い出があるとすれば、それは恋なのです。