「明治の男子は、星の数ほど夢を見た」

イメージ 1

産学社から出版された、和多利月子編著による本で、
山田寅次郎の生涯を紹介する、ちょっと不思議な本です。
何が不思議かと言って、パラパラと本を捲ってみると、
赤黒の二色で、文字ばかりではなく写真や図版や絵があって、
一段だったり二段組みだったり、絵はがき転載も多い。

そもそも山田寅次郎とは、今まで聞いたこともない人で、
産学社も知らなければ、和多利月子さんも知らなかったのです。
それにもかかわらず、手に取ってみる興味を覚えたのは、
明治の時代に、オスマントルコに渡った一人の男子が、
やがて日本とトルコの架け橋となって、魅力的な人生を生きた。
そこの所を詳しく知りたい、と思う好奇心だったのです。

様々な書き方が渾然として、読みにくいのではないか、
と心配しながら読み始めると、これが結構面白くて読みやすい。
まず最初に、寅次郎がどんな人物かがわかるように、
本にすることになった経緯と共に、全体像が紹介されます。
上州沼田藩江戸家老だった、中村家の次男坊に生まれ、
明治・大正・昭和と生き抜いて、トルコと深く関わってくる。

欧米やアジアと関わった人は、けっこう知っていますが、
トルコと関わった人とは、どういう人なのか気になってきます。
そう言えば日本とトルコは、昔から良い関係だったと聞くし、
イランイラク戦争の時に、トルコの航空機が日本人を救っている。
その理由は、「エルトゥールル号の借りを返しただけ」
と言われていますが、このエルトゥールル号事件とは何か?

パリ万博を見て日本に関心を持ち、日本びいきとも言われた、
オスマン帝国の皇帝が、明治天皇への儀礼のために軍艦を派遣した。
それがエルトゥールル号だったわけですが、この軍艦は、
無事に目的を果たして帰るときに、和歌山県沖で座礁します。
そして船の機関が爆発して、大勢の乗組員が亡くなりましたが、
生存者もいて、地元の日本人に助けられたのです。

果たして寅次郎は、この事件に関わったことでトルコへ渡り、
当時のオスマン帝国皇帝、アブデュルハミト二世に謁見します。
皇帝はわずか25歳の寅次郎を気に入り、日本の絹製品や陶磁器、
家具などを取り寄せることを求め、交易が始まるのです。
詳しいことは、直接本を読んでいただいた方がいいでしょうが、
場所が現在のトルコであったことで、多くの繋がりが生まれます。

遠方への旅はまだ飛行機がなく、船で行ったわけですから、
何ヶ月も掛けて、アラビア半島を回っていくのです。
アジアとヨーロッパの境界でもあったトルコで、人脈が生まれ、
多くの人脈を得て、寅次郎は貿易や実業界へも進出します。
それでいて彼は、茶道の家元を継ぐ家系の養子でもあり、
このことで、彼の晩年はまったく違った暮らしをするようになる。

江戸家老の次男から、華道の家元に養子となって入り、
薬の学校を出たと思ったら、潜水士となって名を連ねている。
そうかと思えば、出版業界で飛び回って幸田露伴をデビューさせ、
「東京百事便」を出版したり、演説会を開いたりしている。
そんな男がエルトゥールル号義捐金を持って、トルコに渡り、
それを機に、トルコと日本の貿易に従事して人脈を広げる。

これだけでも面白いのですが、その後寅次郎は茶界に戻り、
最後は静かに隠居生活をして、子や孫には外国語を学ばせている。
著者の和多利月子さんは、寅次郎の孫にあたる人であって、
晩年の茶人としての寅次郎を、身近に見ていた人でもあります。
そんな彼女が祖父の研究者となり、一冊の本を書くとき、
一つの大きな人生に出会い、数々の夢に触れるのです。

そんな夢を後追いながら、この本が生まれたわけですが、
内容はとても興味深く、僕らのような知らない人も惹きつける。
人生において身につけるべきは、語学力であるとして、
後人を導いた寅次郎の信念は、僕自身も共感するところです。
91歳で亡くなるまで、自ら信じるところを生きた、
一人の男性の生き様が、生き生きと伝わってくる本でした。