やがて忘れてしまう日々
これは10年前の9月23日のブログに載せた写真です。
この頃は8段のハサを組み立てて、稲架干しをしていました。
もっと以前は、10段のハサ組を楽しんでいたようです。
もう今では、こんな高い段のハサ組は出来なくなって、
今年も1段か2段で、広くハサを広げることになりそうです。
すでに12年間にわたって、書き続けているイソップ通信ですが、
昔の記事を読んでみると、忘れてしまっていることが多いことに驚きます。
年齢的なものもあるかも知れませんが、やはり10年という月日は、
思っている以上に大きくて、どんな年齢でも10年前のことは忘れている。
少なくとも僕の場合は、1年前や2年前のことならある程度覚えているけど、
3年前になるともう怪しいし、5年前のことなどほとんど忘れています。
本と映画のコーナーで、わざわざ記事にしたような作品でさえ、
今ではすっかり忘れていて、先日は同じ作品を気づかずに見ていました。
しかも2度目はさほど感動しなかったようで、記事にすることもなく、
たまたま古い記事を読み返していたら、その映画の記事が出ていたのです。
昔の記事を読みながら、なるほどそうなのかと感心していたりして、
むしろ覚えていることの少なさには、我ながらあきれるしかありませんでした。
「旅の恥はかきすて」と言いますが、10年経てば「昔の恥もかきすて」で、
まったく他人事のように、客観的に読んで感心したりするのです。
そして20年も経てば、読んで感心することよりもマジで恥ずかしく、
20年前の自分と10年前の自分とでは、大きく変ったことを痛感します。
その理由は9.11のニューヨーク同時テロや、3.11東北大地震で、
人生に対する考え方が、大きく変ったことに由来するでしょう。
そして年齢的にも人生を俯瞰するようになって、あらためて思うことは、
若いときも今も、やらなかったことばかりが思い起こされてしまう。
だからこそ失敗を恐れないで、自分が真剣にやりたいことをやればいいし、
間違ってもマスコミや政府公報の誘導に、惑わされないことが大切です。
僕にとっての人生に対する価値観は、10年前と大きく違わないまま、
鋭く磨かれて、間違いのないものになってきていると感じています。
10年の間に変ったものと変らないもの、表立っては変化しても、
核心部分で変らない何かに関して、今の僕は自信を持ってもいるのです。
問題はその内容をどう伝えれば良いのか、原発問題がそうであったように、
この世界の片隅で小さな声で話していても、誰も耳を傾けない。
ネットやマスコミで大騒ぎされていることは、どうでもよいことや、
聞く人を間違った方向へ導くものばかりで、本当にあきれるばかりです。
限られた時間をもっと大切に、奇妙なお金経済の価値観に惑わされずに、
自分はどう生きるのかを、しっかり考えて実践していくしかないでしょう。
時には過去を振り返り、幸いこのブログ記事も残っているのですから、
あわてず流されずに、おかしいと思ったら立ち止まって休めば良い。
急いで行かねばならないような所はないし、生きていく方法は生き方にあり、
僕らはこの「生き方」を頼りに、道しるべを違わずに進めば良いのです。