伊須流岐比古神社
東京から兄が帰省しており、見たいお寺があるというので、
中でも氷見の大栄寺は、ちょうど先代が亡くなってまもなくで、
若い気さくな住職が相手をしていただいて、たくさん話を聞けました。
歴史の古いお寺で仏像のたぐいも数多く、その中の一つである、
木造十一面観音菩薩立像は、見応えのある顔姿の秀作と見受けました。
このお寺は開化天皇即位25周年に建立された、と言いますから、
紀元前134年の建立となり、いかに古いかがわかります。
建立したのはインドから来た法道仙人で、この人は兵庫県を中心に、
数多くのお寺を建立しており、砺波市にも千光寺があります。
大栄寺にて受戒剃髪された記録があって、歴史に深く関わります。
1347年(貞和3年)には、休安良国上人空阿良国和尚によって、
風光明媚な高台にあって、静かに風景の一部となっています。
そしてこのお寺から能登半島の内陸部へ行くと、今回一番のお目当て、
古くは360もの僧坊があった、石動山の跡地へと向かいました。
石動山へ行ってみると、現在はお寺があるわけではないようで、
その縁を示すものとして、伊須流支比古神社だけが古の姿を残します。
現在は国指定史跡となり、能登歴史公園区域として発掘整備が進められ、
中心の建物であった大宮坊が復元されて、中に入ることが出来ます。
伊須流支はイスルギと呼びますから、現在の石動の基になったはずで、
古来からの石動山の歴史における重要性を、垣間見ずにはいられません。
広々とした敷地には資料館もあって、ここへ行くと様々な資料からも、
2千年以上の歴史を持つ、このあたりの暮らし向きが想像されます。
当時の広大な敷地は、今では散策コースとして整備されており、
不動滝や古墳群巡りなどが、人気スポットになっているようでした。
僕らはそこまでは歩けないので、正面の大宮坊(写真中段)から入って、
伊須流支比古神社拝殿(写真下段)を見て、帰ってきました。
途中にあった水汲み場も何か厳かで、古くは修験者が持ち歩き、
薬や雨乞いの水として、大切にされていたと書いた説明がありました。
拝殿の敷石はいかにも大きく立派で、敷地内は苔むして草も無く、
当時のスケールの大きさや優れた技術には、驚かされるばかりでした。
拝殿からかなり登ったところに、本社跡があるようでしたが、
今回は時間の関係から、多くを回らずに帰ることになりました。