墓参り

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雨が多くて鬱陶しい毎日ですが、暑すぎるよりはいいかな?
と言うわけで、雨の合間を縫ってお墓参りに行ってきました。
今年は兄も姉も遅く、17日を過ぎて来るというので、
15日のお墓参りは、妻と子どもを連れて3人だけです。
しかも妻子は実家へ帰っていましたので、墓参りにだけ呼び出し、
終わったらまた実家に戻って、僕もそちらに行きました。

かく言う僕も、昨日から今日に掛けて大長谷へ行っていましたので、
もしもご先祖様が家に来ていても、誰もいなかったことになる。
母の時代には熱心に墓参りをして、この場所もお気に入りでしたが、
墓地が拡張されて、お墓の周囲も様変わりしてしまいました。
お墓の向こうは雑木林だったのが、墓地として拡張されて、
写真のとおり、今ではたくさんの新しいお墓が並んでいます。

本来浄土真宗では、お墓のような“もの”にはこだわらない筈が、
砺波平野では競って立派なお墓を作るのが、あたりまえになっている。
人口が減っているのだから、お墓だって減って良さそうなのに、
家戸数と同じように、いつまで経っても増え続けています。
そうすると必然的に、空き家は増えるし無縁墓だって増える筈で、
そんな“もの”に執着する人々の、気が知れないのですが・・・

今はまあ僕も兄弟も、僕の妻子もお墓参りにやってきますが、
僕が亡くなってしまえば、妻子に墓守を期待するつもりはありません。
姫が将来そうしたいと思えば、そうすれば良いとは思いますが、
どこか別の場所へ行って暮らすのもいいし、仕事だってすればいい。
ただお母さんが一人だけになっては、かわいそうなので、
その点だけ考えてくれれば、後は自由にして良いと思っています。

政府も南砺市も、口先では子育てを応援していると言いますが、
子育て環境は日に日に厳しくなって、少子化は止まりません。
この状態で何をどうすれば、幸せに暮らせるのかを考えていると、
今のお金文明にはあまり荷担せずに、自給的に生きるのが良いと思う。
そのために自然農などやっていますが、簡単なことではないので、
僕が死んだ後は、妻子で自由に考えてくれて良いのです。

人は何を求めて暮らし、どんな暮らしが幸せなのかを考えて、
自分で納得できる人生を生きれば、それ以上のことは何も無い。
僕が生きている間は、そんな気持ちで応援していますが、
お金経済の圧倒的な力によって、環境は破壊され尽くすでしょう。
そんな時代を思えば、「自分だけは善く生きる!」という姿勢だって、
困難になるかも知れない、そんな危惧だってあるのです。