繋がる命への感謝!

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たぶん日本中において、今はお盆の季節ですから、
多くの人がお墓参りをして、先祖の霊を慰めています。
僕は親鸞の教えに共感して、浄土真宗を信じていますが、
お墓というものには、余り関心がないのが本心です。
だけどお墓は一つの契機として、自らの先祖に思いをはせ、
今ここにある自分を感謝する、大切な碑ではある。

そう思っているので、砺波平野に戻ってからは、
毎年必ずお盆の墓参りをして、お墓の掃除もしています。
特に家族を持って、一緒に暮らすようになってからは、
何よりも感謝の気持ちが強いので、お墓参りは欠かせません。
しかも我が家の墓は、砺波平野を一望できる高台にあって、
母が生前に作り替えた、立派な作りになっている。

最近のお墓は石とコンクリートで、土の地面など無く、
現代の暮らしぶりそのままに、草や植物と無縁のものが多い。
だけど母は植物が好きでしたから、墓の周りには植え込みがあり、
大きな松の木などの枝が、お墓の上を覆っていました。
それは風情があると言えば言えますが、植物は生長しても、
お墓の中の人は何もしないので、残された人が世話をします。

植物に囲まれていれば、傷みも早いし手入れも大変ですが、
僕は自然のままが好きなので、最低限の手入れだけします。
命の大切さを思うときは、なるべく殺生は控えて、
どうすれば世界と調和して、生きられるかを考えます。
まちづくりや男女平等などの、打ち合わせや会議に参加しても、
そんな視点から発言するので、浮いてしまうことも多い。

現代人と言うものは、僕にはあくせくして見えるし、
それならどの時代が良かったか、と問われても困るのです。
理想の時代や希望の社会は、いつも心の中にこそあって、
その住人が時々やってきては、現状の僕らを笑っていきます。
笑われながら笑って、やがて心静かになったときに、
今ここにあることの感謝を、強く胸に思わずにはいられない。

60年の人生を終えて、終わったかなと思っていたら、
その年に妻子を得て新しく、もう一つの人生が始まりました。
これから何を育てるのか、分からないことも多いのですが、
一つの人生で得たものを、次の人生に繋げたいと思う。
それはいかに苦しくても喜びで、味わい深いものですから、
ありがたく楽しみながら、また一年を繋ぐのです。

 ありがとうございます。