散居村展望スポット

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昨日の夕方、家に向かって車を走らせていたときに、
西の空が赤くなって、夕焼けが綺麗になりそうでした。
そこで急遽閑乗寺高原に向かい、展望台まで行きましたら、
そこが新しく整備されていて、絶好のスポットになっている。
いわゆる散居村を眺めるスポットで、夕日にも良いので、
しばらくそこで、車を降りて遊んでみました。

散居村の風景は、すでに何度も取り上げていますが、
見るスポットは、あまり良いところがありませんでした。
しかしこのスポットなら、もともと見晴らしがよくて、
母の代から、大勢の人が夕日や散居村を見に来た場所です。
以前にはこの場所は、冬にはスキー場だったために、
改修しにくかったのでしょうが、今は自由に出来るのです。

僕らの他にも、家族連れが一組とカップルが一組、
それとオーボエの練習をする人が、展望台に佇んでいました。
こんな場所なら、大きな音の楽器の練習には最適ですし、
カップルでのんびりするにも、良い場所に違いありません。
残念ながら蚊に食われて、痒くなってきましたから、
あわてて逃げるように、その場所を後にしてきました。

屋根付きの場所もあるし、水場もあったように思うし、
なにしろ福光から小矢部、砺波から高岡まで散居村が見える。
砺波平野の散居村を、これほど広く見渡せる場所は、
いままでなかったのではないか、と少し嬉しくなりました。
井波へ戻ってから、既に17年の年月が過ぎましたが、
僕はいまだに旅の人で、必ずしも気持ちは落ち着かない。

だけど自然農をして生きることは、すっかり身について、
これからどこで暮らすにしても、生き方は変らないでしょう。
毎年なんとか冬を乗り越え、春を迎えて農作業を始めると、
あっという間に、楽しみな沖縄行きが迫ってきてしまう。
沖縄で楽しんで、帰ってくればまた農作業の毎日で、
無事に秋の収穫を終えれば、また一年が過ぎていくのです。

豊かな恵みをもたらす、砺波平野の散居村ですが、
お金経済が中心になった現代では、後を継ぐ人も少ない。
維持経費が掛かりすぎるとして、都会へ移住するのは、
生き方の違いだから、どうにもならないでしょう。
田畑の田園が広がる場所に、木立や池に囲まれて暮らす、
その環境自体が循環する、人間の英知の場所なのですが・・・

 物には溢れて、心の貧しい時代になりました。