懐かしい屋敷林
もうすぐ石垣島に行くので、それまでに終わらせる、
いくつかの農作業があるので、毎日時間に追われています。
先日一番大きな作業である、清水明の手入れが終わり、
今日は頼成の田んぼで、草取り等の手入れを終えました。
ニンニクの収穫も終わって、後は乾燥させるだけで、
明日紐に括り付けて、車庫にぶら下げて吊します。
頼成で作業を終えて、何気なく武部家の庭を見ていたら、
やっぱりここは凄い場所だ、と思わされました。
何が凄いと言って、田舎とは言っても人の集落地で、
これだけの広さの庭があるだけでも、たいしたものだけど、
この庭が先代の意思もあって、ほとんど自然のままなのです。
見ているだけで、どこかの森に迷い込むような圧巻です。
さらに古くは、渡米した先祖が持ち込んだ木があったり、
珍しい花などもあるようですが、僕にはほとんど分からない。
それでもこの鬱蒼とした植物の様子は、最近見られなくなった、
平地の森の様子を、コンパクトに見せてくれる場所なのです。
昔は誰の生活空間にも、こんな森がひっそり寄り添って、
様々な夢や空想を、育んでいたと思われるのです。
僕には異様な空間にしか思われなくなった、東京都では、
しかしあまりにも巨大で、経済規模が大きすぎるから、
あまりうまく変われるとは、思えなかったりします。
田舎でも経済に振り回されるのは、似たり寄ったりですが、
表面的な情勢とは距離を置いて、こんな空間もあるのがいい。
頼成の田畑では、今日も月に一度の自然農学びの集まりがあって、
10人ほどの人が、石黒さんの話を聞きに来ていました。
僕と妻は最初の話だけを聞いて、あとは農作業をしましたが、
この石黒さんも個性の強い人で、こんな森が似合って見えます。
もう20年近い昔に、ここで「まみあな」をやった頃が、
すでに懐かしい気がするのは、年のせいでしょうか。
この森を抱えた家は、僕が産まれる以前に全盛期であり、
当時は大きな屋敷に大きな庭で、庭石まで格別大きかった。
そんな庭石が、確かにうっすらと土をかぶっている。
そしてその広かった庭が、誰も手入れをしなくなって、
いつの間にか森のようになって、僕らの世代になっていた。
時の流れの雄大さを、今更ながらに感じられる場所なのです。
ここにアリエッテイが住んでいても、おかしくないでしょうし、
小さな生き物たちの暮らしは、数え切れないくらいある。
そんな命の世界に、自分の命を当てはめてみたときに、
下手に整備するよりは、自然のままにしておきたいと思った。
そんな心意気があったことを、想像してみるだけで、
何かホッと安心する、この森にはそんな力があるのです。