不思議なもので
一昨日の夜に、寝ようとしたとき、
何か忘れているようで、気になりました。
このところ忙しい毎日が、続いており、
気に掛かることは多いけど、そうではない、
何かまったく違う事を、忘れている。
そして不意に、Yさんの命日が近いと、
思い出したのが、昨日のことでした。
だけど正確な日までは、思い出せなくて、
このブログで去年を見て、分かったのです。
正確には22日の朝、と言うことで、
まさしくその日、気がついてしまった。
3月にはもう一人、僕の大切な人が、
亡くなっており、いろいろ思い出は深い。
こちらの方は女性で、いろいろあって、
暫くはご主人と、付き合いもありましたが、
誤解もあって、今は連絡が途絶えている。
長く生きていれば、どんな人だって、
思いがけない付き合いや、別れはある。
あるいは、あまりにも分かっている通りに、
別れなければならない、時だってある。
分かっているだけ、辛かっただろう。
いやそんなことを言えば、誰だって、
いつか死ぬと分かっていて、今を生きる。
問題は自覚の有る無しよりも、年齢だ。
もう一人の女性は、まだ若くして、
ひとり息子が、小学校へ上がる直前に、
息を引き取ったから、辛かった。
6人の子を育て、子らの行く末を見て、
死んでいった人は、幸せだったと言える。
ただひとりの子が、小学校へ上がる、
その姿も見ずに行くのは、悲しく思える、
この人が僕に、私のことを書いてね、
と言ったことが、忘れられない。
書くことで、また命が生まれる。
書かなければ、なかったことになる、
そのことを知っているから、僕は書く。
書かなかったことは、なかったこと、
だからこうして、書き続ける。
僕はそろそろ、人生の締めくくりに、
書き置くべき事を、書く時期だと思う。
分かっていながら、なかなか書けないけど、
この世界に現されて、初めて在るものを。
僕が出会った、世界の深さや美しさを、
そして謎を、書き残してみたい。