雨水(うすい)

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いつのまにやら、雨水が過ぎていました。
雪の多かった時代には、立春でもまだ不安で、
雨水になるのが、待ち遠しかったものです。
雨水というのは、二十四節季の説明に寄れば、
「空から降る雪が雨に変わり、氷が溶けて水になる」
と説明される、立春啓蟄の中間です。

春一番が吹くのも、この頃とされていて、
実際に雨水の前日に、北陸地方も吹きました。
三寒四温の季節とも言われて、暖かくなりますが、
本格的な春になるのは、啓蟄を過ぎてからです。
雪が多い年には、雨水頃から雪が溶け出して、
溶けた雪が雨音のように、夜中も続いたものです。

昨今ではそれより早く、立春を過ぎれば、
すぐに雪解けの音がして、春を期待してしまう。
だけどまだまだ雪は降るので、一進一退で、
もしやと思って、ふきのとうなど探しに行っても、
さすがにこの時期は、まだ出ていませんでした。
雨水が過ぎれば、啓蟄が待ち遠しいですね。

啓蟄は、地面から虫が這い出す頃の意味で、
さすがにその頃になれば、暖かみに春を感じます。
実は季節としては、2月はもう「光の春」で、
3月になれば「風の春」とも言われます。
たしかにこの頃は、晴れた日には春のような、
暖かさを感じますが、風はまだ寒いのです。

啓蟄が過ぎれば、僕は農作業の準備に入り、
僕ら自然農の仲間も集まって、今年の相談をする。
頼成の学びの場を、どのように区割りするか、
また学びの日を、どのように設定するかを決めます。
個人的には妻とも相談して、どこに何を植えるか、
決める時期になりますが、少し迷いもある。

僕は働くのが好きで、ついつい働き過ぎて、
余計なことをしてしまうのが、困ってしまう。
妻の望みも高いので、うっかり手に余る量を目指し、
手が回りきらずに、作物をダメにしてしまったり。
僕自身も無理をして、体長を壊してしまったり、
あまり適度とは言いがたい、現実がある。

これから啓蟄までの間に、ゆっくり考えて、
無理のない計画をして、自然農を楽しみたい。
豊かな砺波平野の恵みを、全身隅々に感じながら、
自然に近しい作物を作って、いただいて食べる。
自然を愛し、家族を愛し、人生を愛して生きる・・・
僕はそれを望み、そのように生き終えたい。