感謝する月日♪

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ちょうど2000年から、僕の砺波平野での田舎暮らしが始まりましたが、
2001年NY同時多発テロを受けて、僕の暮らしは激変しました。
それまではのんびり生活を楽しんでいたのを、平和の大切さを思い知って、
平和のための社会活動を始めるや、自然農を知ってこれも実践を始める。
東京平和映画祭や日本自立プロジェクトを通して、多くの知性との出会いもあり、
そこからの人脈もあって、沖縄平和映画祭や北陸平和映画祭を企画実行。

自然農の実践からは、地元砺波平野での新しい人脈も生まれて、
やがて井波町は南砺市になり、協働のまちづくりにも積極的に参加。
そうこうするうちに、映画や市民活動を通して今の妻と知り合ったことで、
60歳にして初めて子供をもうけて、結婚まですることになったのです。
50代にはもう結婚しないと思い、子供や家族のない生涯を考えていたのに、
気がつけば今は自然農をしながらも、家族が一番大切な暮らしです。

若い頃から自分の思いを貫き、好きなように生きてきたのですから、
多くの人が諭すように、僕はもっと惨めな老後でも良かったのでしょう。
大学を出た後は就職活動もせずに、沖縄やアメリカで暮らして、
30代半ばまでは、いわゆる正社員というものになったこともない。
それがアルバイト先の社長に認められて、印刷関係の開発会社に入って、
13年間お世話になって、2000万円を蓄えて退社しました。

退社した理由は、声を掛けてくれた社長が亡くなってから様子が変わり、
多少居づらくなったことと、もっと自由に生きたかったからだと思っています。
女性がらみのいくつかの問題が、その決心を固めさせたこともあるし、
僕の心身が悲鳴を上げ始めて、やめたい気持ちがどんどん大きくなったのです。
すでに父母が亡くなって、家は空き家になりそうだったことでもあるし、
ここはやはり田舎に帰って、ゆっくりその後のことを考えたいと思いました。

60年間を自由に好き勝手に生きて、辛くても楽しかった60年を振り返り、
これから人生を歩む人にも、生きていることの素晴らしさを味わっていただきたい。
そう思うから様々な社会活動や市民活動に参加して、今も頑張っていると、
少しずつ変化してきた人々の意識と、なかなか変わらない社会の価値観を感じる。
そんな大きな流れの中でのこの一年は、自分も試されながら変わってきて、
改めて純粋な心の大切さを思い、そのように生きていることに自信を持ちました。

大したことができるわけでもないし、何一つ名誉になるような肩書きもない、
ただ朴訥に自然農を熟して、家族を大切に思いながら暮らしているだけなのです。
こんな生き方がいかに大事なことか、しかも大々的に広めるのではなく、
必要とする人たちとと共に生きて、他者には迷惑を掛けないことの重大さ。
問題を起こさない生き方としての自然農は、知ってから15年目にして、
ようやく何かが身につき、自分のものになった年だったと思うのです。

今年もあと1日半、皆さん良いお年をお迎えください。m(_ _)m