天竺温泉で雪見風呂

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南砺市の湯巡りチケットを手に入れて、先週は平地区の「ゆ~楽」へ行き、
今週は八尾大長谷の石黒家を訪ねた帰りに、利賀地区の天竺温泉へ行きました。
日帰り温泉としては一押しの天竺温泉ですが、久しぶりに行ってみたら、
休憩所の様子が少し変わっており、以前よりだいぶ狭くなったようでした。
と言っても元々が広すぎる休憩所で、人が大勢いたことなどない風呂に、
広すぎると感じていた休憩所が、半分ほどに狭められていたのです。

実は他の日帰り温泉施設の休憩所も、以前は広々としていたのですが、
指定管理などで運営に民間が入ってくると、無駄と見なされて変わってくる。
ある温泉の広かった休憩所も、半分はレストランになってしまって、
食事をしない客は、眺めの悪い一角に押し込められていたりするのです。
たしかに合理化が進めばそうなるのでしょうが、こんな山中の温泉であればこそ、
もっとゆったりと、無駄とも思えるほどの空間を伸び伸びと味わいたいもの。

せっかく山の中まで来て、町中と同じように合理化が進んでいたのでは、
楽しみに来たゆったり感の半分が、人為的に失われたようで残念な気がします。
バブル期に計画されたような公共施設は、今ではどこも大きすぎてお荷物ですが、
それをこじんまりさせてしまっては、本来の魅力がなくなってしまう。
そんなことを言っても経営が成り立たなければ、維持できないのですから、
最終的には経費節減や、新たな収入を考える必要があるのでしょう。

そんなときこそ温泉の熱エネルギーを使って、経費節減とかできるはずだし、
新たにレストランとかを開く経費を掛けるより、安く自由度を増やす手もある。
そのためには地元の人たちと、きめ細かい話し合いが必要になるでしょうし、
ただ民間業者に任せれば良いと言うものでもない、と僕は思うのです。
湯巡りチケットの発売は、多くの人に知ってもらい来てもらいためには、
良い企画だと思うけど、そうして訪ねた温泉の魅力が落ちていては残念です。

だけどまあ天竺温泉までくれば、利賀の人たちは昔ながらの素朴な人たちで、
ちょっとした会話や人との接し方にも、自然に人をもてなす心が感じられます。
接客サービス業の親切ではなく、同じ人間として大切にしたいという心が、
言葉や態度に自然に出てくるから、こちらも自然に伸びやかな気持ちになる。
昔の銭湯で聞かれた会話が、天竺温泉では今も自然に飛び交っていて、
そうした心の醸し出す空間が、温泉と共に心地よさを味わわせてくれるのです。