もうすぐ冬
街の街路樹のイチョウも、すっかり色づいて、
秋はもう終わり、冬が近いことを教えてくれます。
僕はまだ、今季の農作業が終わらないので、
今日もこのあと、暖かくなるのを待って畑作業です。
と言っても、既に収穫してある豆類を脱穀して、
トーミ掛けをするだけですが、手間は掛かります。
明日は保育園の遠足があって、そのあとは温泉行き、
間を縫って、いくつかの市民活動が待っている。
まだ12月にもなっていないのに、今年は終わって、
ぼつぼつ来年のことを、考えるようになってきました。
早いような遅いような、こんな感じで60年以上生きて、
気がつけば、50年前の自分と今の自分が変わらない。
人生が二度あれば・・・なんて、歌があるけど、
たぶん僕は2度あったとしても、同じように生きる。
考えるだけ考えて、自分でこうだと思ったなら、
人が何と言おうと、そのように生きるしかなかった。
それは孤独で厳しい人生だけど、どのように生きても、
最後は自らが、おのが命を全うするしかない。
支えてくれる人もなく、やるべき仕事も見つからず、
何をやってもうまくいかずに、泣いた日もあった。
ベッドの上に座って、神を相手に話をしながら、
人間の真実、人生の真実、自分の真実だけは知りたい。
そう願いながら、そんなものはないとも知っていて、
この世界をそのまま受け止める、生き方を得た。
春に種を撒いて、夏に世話をして、秋に収穫する、
そんな単純な作業の中に、すべての幸せが眠っている。
その幸せを身につけて、育て始めて彼女に出会って、
一緒に暮らし、子どもも授かることになりました。
幸せとは何か、人生とは何か、今の僕は知っており、
この幸せを、少しでも多くの人と分かち合いたい。
環境保護や政治参画や、様々な市民活動をしながら、
50年前を思い出し、50年後を考えています。
人間は百年の生き物だとすれば、百年後を考えて、
どんな社会をイメージするのが、幸せに繋がるのか。
そのくらいの価値観でないと、信じるに値しない。
秋の夜長にゆっくりと、パソコンの前に向かい、
来し方と行く末を考えて、人々の幸せを願っている。
これが人間の営みだと知って、自ずから満ち足り、
我子の笑顔に酔いしれて、寒さも忘れてしまう。
こうして50年が過ぎたことを思い、目をつむり、
また50年を思うとき、生きていて良かったと思う。