青空を見上げると

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今日も日中は、気持ちのいい秋晴れでした。
立会人の仕事の息抜きに、庁舎の外へ出てみると、
家族連れの人や子どもたちが、元気に遊んでいます。
やっぱり快晴の日は、外で遊ぶのいい感じだなあ、
と思いながら、ふと空を見上げて一条の雲を見つけました。

飛行機雲かな、と思ってずっとラインを追いましたが、
あらら・・・、どうしたわけか両サイド共に途切れています。
飛行機雲なら、細くなった方の端に飛行機が見えるはずなのに、
どこまで見ても、そのまま青空が広がっているばかり。
もしかしてこれは、飛行機雲ではないのかな?

そう言えば僕は、子どもの頃は雲が大好きで、
丘の上や屋根の上から、のんびり雲を見ていました。
それは創作のキャンバスのように、想像力をかき立てて、
いろんな絵を描いては、跡形もなく消えたのです。
今はもう、何を考えていたのか思い出せません。

小学生の頃に、夏休みの自由課題で雲を観察し、
何枚も写真を撮ったのに、写真屋で現像されませんでした。
雲しか写っていないから、失敗だと思われたようで、
現像しないで戻されて、あとで大笑いしたのです。
当時は写真屋さんが判断して、現像していたのです。

大人になってからは、遠くへ旅するとまず見るのが、
その土地の雲の様子だったように、覚えています。
雲の様子なんてどこでも同じように、思われるのですが、
大地の様子が違えば、雲の様子も違ってきたのです。
まして小さな島などでは、雲は風景そのものだったのです。

飛行機の上でも、雲海の上を飛んでいるときに、
飽きずに眺めているから、他の人も窓を覗き込んで、
雲しか見えないのを、いぶかしく思っているようでした。
雲の絨毯なんて言葉もありますが、そんな平面的ではなく、
分厚い立体の形が、想像力をかき立てたのです。

南方の小さな島へ行くときに、セスナの小型機で、
乗客なのに、なぜか助手席に乗ったことがあります。
目の前にある操縦桿が動いて、雲の切れ間を目指して降りる、
その一部始終が自分の操縦のようで、雲は白い魔物となり、
通過するときは、機体がガタガタと震えました。

そんな様々な思い出が、一条の雲に乗って蘇り、
僕はしばらく夢見心地に、空を旅していたのです。
どこまで行こうか、どこまでもどこまでも遠くへ行く。
そして我に返り、庁舎の中へ引き返しました。
外では子どもたちが、楽しそうに遊んでいました。