久しぶりに石黒家
去年の暮れに餅つきで行って以来、ご無沙汰でしたが、
昨日は久しぶりに、今年初めての石黒家に行ってきました。
年に3回行われる餅つきは、12月、3月、5月にあって、
今年は3月に仕事で行けなかったので、餅米が余っています。
5月だとあまりたくさんついても、かびやすい季節なので、
少なめに、それでも二臼分の餅米を持っていきました。
昨日は久しぶりに、今年初めての石黒家に行ってきました。
年に3回行われる餅つきは、12月、3月、5月にあって、
今年は3月に仕事で行けなかったので、餅米が余っています。
5月だとあまりたくさんついても、かびやすい季節なので、
少なめに、それでも二臼分の餅米を持っていきました。
この季節まで餅米を持っている人は、少ないと思われて、
石黒家以外で餅つきをするのは、僕らを含めて3家族だとか。
それなら人も少ないだろう、と高をくくっていたら、
次々に人がやって来て、最終的には30人近い人が集まりました。
しかも十年ぶりに来た人や、ラオス帰りの人が来ていて、
結局お昼の食事は、部屋の中に収まりきれない大人数です。
とは言っても、今日は快晴なのに風が強い日でしたから、
いったん庭にしつらえたテーブルも、片付けてしまう有様です。
つきたての餅に、文子さんの煮物をいただいて食べる昼食は、
ついつい食が進んで、いつも思わず食べ過ぎてしまいます。
餅つきの方は、石黒家の次男と三男が中心になって、
来客が順番についてくれるので、僕は少しついただけです。
いったん庭にしつらえたテーブルも、片付けてしまう有様です。
つきたての餅に、文子さんの煮物をいただいて食べる昼食は、
ついつい食が進んで、いつも思わず食べ過ぎてしまいます。
餅つきの方は、石黒家の次男と三男が中心になって、
来客が順番についてくれるので、僕は少しついただけです。
石黒家の田畑を見せてもらうと、とても整然としており、
自分たちのあまり計画的でない田畑が、恥ずかしくもなります。
こんな風に、家の周りに田畑がまとまってあれば、
もっと計画的にできそうな気もしますが、それは言い訳でしょう。
お金でしか維持できないインフラから離れ、自給的に暮らしている、
石黒家の20年を考えると、やっぱり頭が下がる思いがする。
集まった子供たちも大勢いて、この子たちはほぼみんな、
生まれたときからここへ来ているので、知った人は多いのです。
それが皆大きくなっていて、年月を感じると共に、
こうして社会が作られていくのだと、感慨深いものがある。
社会を変えていく力は、政治や行政のお金や施策よりも、
こうした人間の営みによる、価値観の広がりによるのでしょう。
生まれたときからここへ来ているので、知った人は多いのです。
それが皆大きくなっていて、年月を感じると共に、
こうして社会が作られていくのだと、感慨深いものがある。
社会を変えていく力は、政治や行政のお金や施策よりも、
こうした人間の営みによる、価値観の広がりによるのでしょう。
石黒さんとの話は面白く、刺激的で楽しいのですが、
現実社会に目を向けると、切ないほどに無力を感じたりもする。
だけど生きている限り、可能性を捨てては意味がないので、
一人二人と理解者を増やしながら、自分も学んでいくしかない。
そんなことを考えながら、楽しかった山を下りてきたら、
砺波平野はまた、恐ろしい強風のまっただ中にありました。
現実社会に目を向けると、切ないほどに無力を感じたりもする。
だけど生きている限り、可能性を捨てては意味がないので、
一人二人と理解者を増やしながら、自分も学んでいくしかない。
そんなことを考えながら、楽しかった山を下りてきたら、
砺波平野はまた、恐ろしい強風のまっただ中にありました。
僕の小さな車では、吹き倒されてもおかしくないような、
すさまじい勢いの風が、井波庄川に吹き荒れていたのです。
ニュースを見れば、僕が山にいた午後からずっと吹き荒れており、
城端線や氷見線が、動けずに運休していたほどの強風でした。
この暴風は夜半まで続いて、古い我が家は揺れてきしみ、
やがて家が壊されるのではないかと、心配になる豪風でした。
すさまじい勢いの風が、井波庄川に吹き荒れていたのです。
ニュースを見れば、僕が山にいた午後からずっと吹き荒れており、
城端線や氷見線が、動けずに運休していたほどの強風でした。
この暴風は夜半まで続いて、古い我が家は揺れてきしみ、
やがて家が壊されるのではないかと、心配になる豪風でした。