大きな「環と和」

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植物園の梅は満開です
 
世界を理解しようとするときに、よく言われる事でありながら、
非科学的だとして公には相手にされない、一つの言い回しがあります。
一枚の落葉に大切な人の死を感じ取ったり、空気の汚れを感じたときに、
どこかで大災害が起きることを予感する、すべてが繋がっている感覚です。
一見まったく無関係なことが、ある特別な視点を持つ人にとっては、
一段大きな関係性の中で、連動していることを感じ取るのです。

昨日の朝のことですが、僕は生涯で父母の次にお世話になった人が、
一年近い闘病生活を経て、静かに病院でお亡くなりになりました。
最後にお会いしたのは先月の24日で、まだ意識もしっかりされており、
この調子なら、春の花見までは保つのではないかと思ったのですが・・・
「これが最後になるだろう」と本人が言ったとおり、先週くらいから、
意識が混濁するようになって、家族に看取られながら亡くなったようです。

ちょうどこの一年は、僕にとって少し奇妙な一年だったのですが、
去年の4月から引き受けた今の仕事が、うまく続けられそうになくて、
自分の生き方と照らし合わせて、辞めるべきだと判断したのが7月でした。
その7月に連絡を取ったとき、「彼は余命3ヶ月」と知らされたのです。
病院の言う余命は、いくらか短めに言うものだと聞いていましたから、
そう簡単には亡くならないとしても、年内は難しいかも知れない。

せめて意識のはっきりしている間に、会えるだけ会っておきたい、
そう考えて、9月には北陸新幹線で家族3人で見舞いに行きました。
まだ3歳になっていなかった姫は、アンパンミュージアム行きが楽しみで、
妻は思いがけず早く乗れた北陸新幹線が、楽しみだったようです。
そして11月には、飛行機で往復してTDLにまで足を運び、
最近の僕ら家族には珍しく、東京行きを楽しんでもいたのです。

無事に年を越して、僕は1月には徳島での自然農全国大会があったので、
2月にようやく3回目のお見舞いに行ったのが、最後になってしまいました。
僕の仕事は3月いっぱいなので、4月になればゆっくり会いに行ける、
そう言いながら、もう会えないかも知れないと感じてはいたのです。
この一年間に僕が引き受けた仕事のせいで、ゆっくり行けなかったのですが、
仕事で得たお金があったからこそ、家族で何度も見舞いにも行けたとも言えます。

そして自分の生涯を思い返すなら、僕にとってこの人との出会いは、
人生の一番不安な時期にあって、僕を認めてくれた人でもあったでしょう。
好き勝手に旅をしていた20代の半ば、年齢が一回り違うとはいいながら、
すでに5人の子どもと年寄りを養いながら、家族を大切に暮らしていた人です。
僕のような無鉄砲な人間を、信頼して受け入れてくれた人間の大きさを、
僕自身も受け入れて、生涯お世話になることになったのです。

まるで家族のように扱われて、僕もその信頼には応えながら、
自分の生き方は曲げずに、6人の子どもたちとも付き合いを続けました。
思い出は数限りなくて、とても書ききれるものではありませんが、
彼の家族との絆がなければ、今の僕もなかったとも思うのです。
この一年の環の中に、彼の命の最後が繋がっていた事を感じるにつけ、
さらに大きな和の中で、僕らは繋がっていたようにも思うのです。

環と和の繋がりは、生きた人の心によってもたらされたのです。
      《 合掌 》