美しい雪化粧

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この写真で、どこまでわかってもらえるか、
昨日“古洞の森”へ行く途中の、狭い国道沿いに、
それは美しい、雪化粧の山風景に出合いました。
思わず車を止めて、携帯のカメラで撮った一枚ですが、
その面影だけは、写っていると思います。

山の雪化粧と言えば、すっぽり雪に覆われて、
汚れた部分が、見えなくなった状態を言いますが、
この雪化粧は一歩進んで、新たな美しさがあるのです。
それは微妙な白黒だけの、鮮やかなコントラストで、
満開の桜山を見るが如くに、樹木の黒さが美しかった。
そこにまた、降るでもなくちらつく雪も夢のよう。

山肌を覆った雪さえ、積もった桜の花びらのようで、
このような風景は、あまり見たことがありません。
きっと何かの偶然が重なって、こうなるのでしょうが、
想像だにしなかった美しさに、突然出合うと、
呆然と見入ってしまい、動きたくなくなるのです。

さてこんな雪化粧を過ぎて、さらに山を上ると、
ちょっと古びた施設で、“古洞の森”があります。
温泉棟と研修棟と、コテージ建物がいくつかあって、
利用者のほとんどは、温泉に来ているようでした。
僕らは研修棟の一部屋を借りて、自然農のメンバーで、
冬場の座学勉強会に、集まってきたのです。

勉強する内容も大切ですが、僕はそれと同時に、
普段はそれぞれの生活をする仲間が、たまに会して、
世間話的な情報交換をするのも、必要だと思っています。
日常の多くのことが分断されて、見えなくなって、
孤独になることの多い時代に、絆の価値は大きいのです。

集まったのは、大人13人と子どもが6人で、
研修室は和室でしたから、大人たちは机を囲んで座り、
子どもたちは思い思いに、その間を縫って遊びます。
ちびっ子の遊びは、時には大騒ぎになるので、
研修の邪魔になるかと言えば、僕らはそうは考えずに、
同じ時空間を共に生きている、仲間と捉えているのです。

いのちあるものの活動は、どれが正しいものではなく、
皆同じように貴重で意味があるので、大切にするしかない。
そんな真理とも言えることを、子どもと暮らすことで、
実体験として感じられれば、それも大きな学びでしょう。
冷たい雪の美しさは、意味の何かを思わせるのです。