表現の自由と過激な風刺画

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今年最初に起きた、世界的大きな事件と言えば、
フランスのパリにおける、シャルリーエブド襲撃事件です。
被害者の数だけでなく、その大胆な手口と犯行への確信から、
暴力的なテロへの抗議として、パリで大規模なデモが起きました。
急遽行われた世論調査では、フランス国民の8割近い人が、
こうした暴力に抗議すると共に、イスラム国へ行く人を糾弾します。

しかし一方で、事件のきっかけとなった風刺画に対しては、
宗教を屈辱する内容のものは、載せるべきでないと考える人も、
4割以上いるようで、意見は真っ二つに分かれているのです。
それでもシャルリーエブドでは、こうした風刺画を続けていくとして、
「私はシャルリー」なんて言葉が、デモと巷に広がっていき、
デモ行進の最前列には、世界40各国の首脳が並んでいたのです。

なんだかおかしいと思ったのは、このあたりからで、
いくら民主主義が根付いたフランスでも、この素早さで、
大勢の首脳をどうやって集めたのか、警備は必要なかったのか?
と思っていたら、この写真は市民のデモとはまったく別の場所で、
厳重に警備して撮ったものを、市民のデモの先頭にいるかのように、
合成して作った映像らしいと知ったのは、昨日のことでした。

新聞テレビの報道を見ているだけでは、こうした事情はわからず、
世界中の世論で、イスラム過激派のテロに対する抗議が広がっている。
しかもこの中には、パレスチナ暫定政府のアッバス議長もいるのですから、
一部の過激派に対しては、多くのイスラムさえ対峙していると映ります。
だけど裏にはいろいろ事情もあるようで、アッバス議長の発言では、
パレスチナを国家として、西欧諸国に認めてもらいたい一心が見えます。

アッバス議長は、その後に行われたインタビューの中で、
表現の自由はあっても、ムハンマドもキリストも侮辱すべきではない。
こうした風刺画の掲載は、さらなる憎悪を生み出すだけだ」と言っています。
実際に多くのイスラム諸国では、テロ事件には賛成できなくても、
件の風刺画に対しては、屈辱的と感じている人が大勢いるとも聞きます。
はたしてこうした屈辱的表現まで、表現の自由で括られていいものかどうか?

日本では東京新聞が、シャルリーエブドの問題になった表紙画を、
紙面で紹介したところ、日本在住のイスラム教徒から抗議を受けています。
その絵を僕が見ても何も感じないのですが、イスラム教徒の人たちは、
預言者を侮辱するのはやめてください」として、抗議をしているのです。
新聞社側は、「イスラム教を侮辱する意図は全くない」と言いますが、
それではシャルリーエブドは、イスラム教を意図的に侮辱したのでしょうか?

侮辱する側とされる側では、受け止め方はまったく違うもので、
自分は侮辱する意図はないからと言って、相手の屈辱感はぬぐえません。
まして一度抗議を受けたなら、その時点で相手の気持ちはわかりますから、
これを再掲載したシャルリーエブドは、行きすぎだと思うのです。
9.11事件以来、イスラム過激派を敵として結束したい欧米諸国は、
今回の事件も、都合よく利用することばかり考えているように思うのです。

これでは問題を深刻にするばかりで、決して解決などされないでしょう。
もっと本質的な問題を明らかにして、双方の意見を聞く自由がほしいものです。