おカネより時間

イメージ 1
 
頼まれ仕事はありがたいので、なるべく引き受けますが、
原則として午前か午後の、半日だけと決めています。
僕が年齢的にも全盛期を過ぎて、丸一日働くと翌日がきつい、
ってこともありますが、一日おカネ仕事はなるべく避けたい。
その仕事が特別やりたい仕事であれば、話は違いますが、
単におカネを稼ぐための仕事なら、半日だけにしておきたいのです。

「時は金なり」という教えもあり、今は自給いくらの時代なので、
おカネにならない時間を過ごすことを、無駄と思う人もいますが、
僕はおカネを稼ぐよりも、もっとやりたいことがたくさんあるのです。
今までもずっとそうでしたが、20代の頃には旅が好きで、
仕事は旅をする資金稼ぎでしたから、ある程度の資金が貯まると、
さっさと仕事を休みにして、何ヶ月間の旅に出ていました。

30代の頃に、世間はバブル経済になってしまったので、
それまで年末年始に、アルバイトをしていた会社に入社しました。
僕が人生でサラリーマン生活をしたのは、この時だけでしたが、
お陰様で少しは資金を残して、退社後は10年間働かずに暮らしました。
小説を書いて本を出したり、9.11事件を受けて市民活動をしたり、
自由に好きなことをしながら、生きることができたのです。

そして自然農と出会い、新しい仲間がたくさんできると、
今まではいい加減だった、生き方へのこだわりが出てきたのです。
人間とは何か、自分はどう生きれば本当の幸せになれるのか、
そんなことを考えながら、限られた時間の大切さを再認識しました。
さらに今の妻と出会ったことで、この幸せな時間を少しでも多く、
味わう生活をしたい、と思って今を生きているのです。

今も毎日頼まれ仕事をしていますと、どうして半日だけなのか、
何か別の仕事と掛け持ちしているのか、と尋ねられます。
説明しても長くなるし、言葉だけではうまく伝わらないと思うので、
家の用事があるの半日だけ、とだけ答えるようにしています。
逆に毎日朝から日暮れまで働いている人は、どうしてなのかと、
僕の方も疑問に思うのですが、多くの人はおカネを稼ぎたいようです。

おカネは確かにありがたいし、便利な物だとは思いますが、
これは切りがないし、必要以上に稼げば様々な弊害が起きます。
個人においても社会においても、過剰なおカネは何かを破壊するし、
おカネのために失われた時間は、決して戻ることはないでしょう。
おカネを稼ぐことで節約できる時間も、確かにあるでしょうが、
多くの人を見ると、おカネのために貴重な時間を費やしているのです。

物もおカネだと考えれば、おカネや物への執着は引き替えに、
時間や心と言った、もっと本質的なものを失うことも事実です。
限られた人生の中で、何を大切に生きればいいかを考えていたら、
我が家の姫にも何かが通じたのか、比較的モノに対する執着は少ない。
玩具にしても衣類にしても、僕が買わない所為もあるでしょうが、
あまり欲しがらないし、店先でだだをこねることも少ないように感じます。

先日は知り合いの家に、たくさんの子ども用衣類やぬいぐるみがあって、
衣類を少しいただきましたが、ぬいぐるみはもらいませんでした。
姫に選ばせようとしても、喜んではいながら持ち帰ろうとしないので、
その場で少し遊んで、小さなマスコットを一つもらって返りました。
僕はなるべく毎日、妻子と共に過ごす時間を多くしていますし、
妻も姫もそれが当たり前になって、我が家は今も仲良しなのです。