倶利伽藍山 不動寺

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倶利伽藍不動というのは、名前だけ知っていましたが、
今まで行ったことはないし、さして興味はありませんでした。
ところが東京の兄が帰省して、行ってみたいというので、
車で案内ついでに僕も行ったのですが、これがすばらしい。
日本の三大不動の一つだとかで、ちょうどこの日は、
毎月1日の御縁日で、ちょうど護摩法が見られました。

どうしてこんな所に、高野山真言宗の別格本山があるのか、
詳しいことは何一つ知らないのですが、本物の護摩法を見ました。
たまたま行ったお寺で、こんなものが見られるとは、
僕も兄も予想していませんでしたから、幸運と言うしかない。
それほど多くはないにしても、参拝客も集まっていたし、
現代のお寺としては、活気があると言えるでしょう。

8月のお盆には近くの鳳凰殿で、万灯会もあるようで、
去年の写真を見ると、なんとも美しくて見てみたくなります。
倶利伽藍山は近年になって、木曽義仲巴御前の話を、
NHKの大河ドラマにしたい、と売り込み中なのですが、
木曽義仲なんて、あまり全国区の話とも思えません。
それでもこんな不動寺のことを知ると、興味が湧くのです。

砺波平野は歴史が古いといいながら、知らないことが多く、
訪ね歩く価値は多そうで、僕もいつかは回ってみたい。
特に倶利伽羅峠から医王山にかけての、富山石川県境には、
古い歴史のある物語が多くて、当時の繁栄を伝えているのです。
平地よりも山の方が、豊かな生活ができた明治以前の時代に、
このあたりは広く開拓されて、多くの人が住んでいたと思われます。

明治の頃までは、川の治水が悪いところが多かったので、
砺波平野でも小矢部川庄川が氾濫する、堆積平野の地域よりも、
山沿いの方が安定して、食生活も豊かだったと思われるのです。
そんな中で高野山別格本山も建てられ、禅宗が広がっていたのを、
蓮如親鸞と言った浄土真宗の人たちが、布教活動を始めて、
今のような真宗王国が、当たり前になってきたのです。

こうした山間地、利賀平も砺波平野の一部と捉えるならば、
僕らの住む富山県呉西は、古くから豊かな土地柄だったのです。
歴史に縛られる必要はないけど、古い歴史を知ることで、
今の時代の価値感から解放されれば、それはまたいいことでしょう。
新しいものが大切なのは、今の時代の呪縛から自由になるためで、
そうだとすれば、古い歴史もまた呪縛を解くカギになるのです。