草の花を摘む
姫には、自然や農作業を好きになって欲しい、
と思うので、よく田畑に連れて行きます。
まだ何をするにも、お母さんがそばにいないと、
落ち着かないようだから、一緒に行く。
そしてお母さんが、農作業を始めてしまうと、
姫も同じように、草の花を摘んだりしています。
と思うので、よく田畑に連れて行きます。
まだ何をするにも、お母さんがそばにいないと、
落ち着かないようだから、一緒に行く。
そしてお母さんが、農作業を始めてしまうと、
姫も同じように、草の花を摘んだりしています。
僕は子どもの頃に、よく姉に連れられて、
近所の空き地で、草花を摘んだ記憶がある。
男の子同士で遊ぶのも、好きだったけど、
姉の友だちに連れられて、花摘みなどするのも、
嫌いではなかったように、覚えています。
空き地の草原は、お花畑のように見えていました。
あれはきっと、春先の空き地だったのでしょう。
夏至を過ぎて、夏真っ盛りの空き地を見ると、
草の勢いが凄まじくて、小さな子が入っていくと、
ジャングルにでも、迷い込んだようになってしまう。
それでも畑などへ行けば、適度に草が小さくて、
花摘みをするにも、ちょうどいい感じ。
あのころの僕は、何を考えていたのかと、
遠い日を想像しながら、姫の思いを探っていく。
それはとても懐かしくて、楽しいのですが、
農作業に夢中になると、姫の心は離れていって、
なんだか取り残されているような、寂しさが見える。
今の子どもたちも、花を編んで冠にするのかな?
幼いときから、すっかり社会的になった、
近頃の子どもたちの様子は、疲れて見えます。
昔はもっと自由で、好き勝手に遊んでいた気がする。
何もなかったけど、豊かに自然が満ちていて、
僕らは自然に向かって、自然界と通じていたのに、
今の子どもたちは、遊びも学びも空間も社会のよう。
人間が作った空間で、人間が作った教材で、
人間が作った遊び道具で、遊んでいる子どもたち。
それは幸せなのか、心の広がりは追いつくのか、
行く手が遮られて、息の詰まる思いはしないのか、
僕ならどこかへ、逃げ出したくなるかも・・・
それは当時も、そんな感じだったのかも・・・・