逝った人を忍ぶ
土曜日に、近所のお爺ちゃんがお亡くなりになりました。
さっそく町内の同じ班である10軒が、その家に集まって、
お通夜と葬儀でのお手伝いを、打ち合わせました。
父母の頃は家やお寺で、葬式までやったようですから、
その時代であれば、同じ班の人がやることも多かったでしょう。
だけど今は葬祭会館があるので、手伝いと言っても知れています。
さっそく町内の同じ班である10軒が、その家に集まって、
お通夜と葬儀でのお手伝いを、打ち合わせました。
父母の頃は家やお寺で、葬式までやったようですから、
その時代であれば、同じ班の人がやることも多かったでしょう。
だけど今は葬祭会館があるので、手伝いと言っても知れています。
会館がおおかたの手配や準備をやってくれて、僕らはその指示で、
お通夜や葬儀に訪れる人の、受付をする程度なのです。
黒服を着て黒ネクタイをして、数珠と小銭をポケットに入れて、
あとは香典を忘れさえしなければ、会館の車で出掛けます。
会場で受付のお手伝いをして、葬儀にも参列して、
帰り客にお礼の品を渡して、それでほぼ終わりでしょう。
あとは香典開きをして、内容を親戚筋に確認してもらい、
それを手渡せば、親戚の人たちと一緒に初七日の食事をします。
2日間の間に、慌ただしくやることをやってしまうのですが、
このお爺ちゃんの遺影を見ると、思い出すことがたくさんあるのです。
僕がまだ子どもだった頃には、威勢のいい畳屋の職人で、
ちょっと恐い感じでしたが、怒られたことなどありませんでした。
長いあいだ家を空けて、その間に父母が亡くなって、
僕が家に帰ってきたときには、そのお爺ちゃんは隠居して、
ゲートボールなどを楽しんでいたのを、思い出すのです。
そして僕が屋上の物干し台で、梅干し用に梅を干していたときには、
お爺ちゃんはその家の屋上でこしらえた、祠に向かって、
何やらブツブツとお経のようなものを、唱えていたのです。
僕と顔を合わすと、一言二言挨拶の言葉を交わし、
穏やかな顔で、軽い世間話までしていたのを思い出します。
特に親しかったわけではないけど、いつもそこにいるはずの人で、
子どもの頃の記憶には、どうしても欠かせない姿なのに、
もう見られなくなったのは、なんとも言えずに悲しいものです。
近所からまた一人、父母の世代が姿を消しました。
享年95歳と言いますから、大往生だったようですが・・・
年が年であれば尚更、喪失感は大きいのです。