さくら道
南砺市井波の、大門川両岸には、
桜の並木が続いて、花を咲かせています。
今頃がちょうど満開で、先日の爆弾低気圧も、
幸いに大きな被害はなく、桜も散りませんでした。
せっかく満開の桜並木を見ようと、姫を連れて、
大門川まで、お散歩に行ってきました。
桜の並木が続いて、花を咲かせています。
今頃がちょうど満開で、先日の爆弾低気圧も、
幸いに大きな被害はなく、桜も散りませんでした。
せっかく満開の桜並木を見ようと、姫を連れて、
大門川まで、お散歩に行ってきました。
大門川の西側は、二車線の車道になっていて、
こちらにはソメイヨシノが、ずらりと並んでいます。
そして東側は、私道とも言えそうな一車線道で、
車の通りはほとんど無く、のんびりと歩けるのですが、
こちらには、様々な品種の桜が植えてあるようです。
その中でもやや緋色に近い、目立つ桜がこれ。
緋桜か陽光と呼ばれる種類ではないか、と思うのですが、
気持ちよく咲いて見えたので、写真を撮ってきました。
このあたりは、去年も桜の花見に来ましたが、
あれは休日の夕方で、宴会をしている人もいたような。
だけど今日は平日の午前中なので、人はいません。
近所のおじさんが、家前で桜の花びらを掃いていました。
風は少し寒いのですが、穏やかな春の日だったので、
のんびり散歩には、ちょうどいい季候だと言えるでしょう。
花見にもいいはずですが、みんなこんな日には、
何が忙しいのか、花見をしている人は見あたりません。
もっと貧しかった時代には、大勢の人が花見に出て、
笑顔が満ちあふれていたように、思うのですが。
昔から、富山県人はよく働くと言われており、
家族は皆、なにがしかの仕事をしているのが当然で、
仕事をしていない人は、よからぬ人とさえ思われます。
だけど何のために仕事をするのか、考えてみると、
もともとは生活を豊かにして、幸せになろうとして、
働いているはずなのに、現代では何かが少し違っている。
生活に追われるよりは、仕事に追われていて、
生活の質よりも、お金を求めて働く人がほとんどです。
目的を忘れて、手段でしかないお金のために働けば、
いくら働いてもきりがなく、安心などどこにもありません。
幸い僕らは、様々な市民活動や学習をする中で、
何が幸せかを知っているので、惑わされずに済むのです。
今の一瞬にしかない、生きていることの幸せを、
五体と五感で味わうために、働くのであれば、
労働時間は少ない方がいいし、お金も少ない方がいい。
生活を維持できるだけのお金があれば、あとはゆっくり、
自然の中に彷徨い出て、自分を溶かし込むのです。
そこに見えてくる幸せは、何ものにも代えがたい・・・