喃語で話そう!

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喃語なんて言葉を知ったのは、小説の中でした。
赤ちゃんが、まだ言葉にならない声を出してしゃべる、
言葉ではないので、しゃべるというのも変ですが、
「はあー」「うー」「えー」と発する声に、返事すると、
赤ちゃんもしきりに、返事するように声を出します。
この声がかわいいので、つい笑顔になるのですが、
言葉にならない声で、コミュニケーションするので、
それを喃語と言う発想は、とても好きな感覚です。

日本語でも英語でもない、会話するはずもないのに、
たしかにコミュニケーションを始める、不思議な言葉。
最近は姫が、しきりに声を出すようになったので、
僕がそれに合わせておしゃべるすると、楽しそうに、
笑いながら、なにやらかわいい声を出して答えてくれる。
嬉しくて夢中になって、少しでもたくさん声を聞きたくて、
わかるはずもないのに、いろんな事を話しかけます。
すると姫も、ちゃんと答えてくれるのです。

“かわいい”と言うのは、こんな時に使う言葉で、
この可愛さを知ってしまったら、他の何がかわいいなんて、
みんな吹っ飛んで、木っ端微塵になってしまいます。
このコミュニケーションの楽しさは、ほかに比べるもの無く、
すでに至高の極みをもって、幸福の何かを教えてくれる。
この幸せのためなら、どんな苦労も報われるというもので、
世の多くの親たちは、これを楽しみに子育てするから、
笑顔の耐えない暮らしが、出来るのだと思うのです。

無垢の瞳に見つめられて、喃語のやりとりをして、
昨日ピッタリだった服が、今日は少し小さくなる。
日ごとに声の種類が増え、顔の表情も豊かになり、
喜怒哀楽がわかるように、感情のやりとりもする。
嘘泣きまでしてみせたり、わざと喜んで見せたり、
僕が思うのと同じように、姫も僕を喜ばせようと。
その気持ちが嬉しくって、お互いが笑顔になって、
幸せが幸せを呼んできて、限りなく幸せが増える。

姫を育てると言うよりは、育てられている感じなので、
ありがたさもひとしお感じるし、充実感もあります。
こうした幸せを増やすのに、お金がないと何も出来ない、
と思い込んでいる人は、お金があっても何も出来ないのです。
気が付けばいつまで経っても、お金のことしか考えない、
そんな人たちが、政治経済の実勢権力者になって人々を導き、
お金が優先する社会を作って、お金集めに翻弄するのです。
僕らはそんなトラウマから脱して、幸せになればいい!

そのヒントを教えてくれるのが、赤ん坊たる姫の存在で、
僕は日々姫に向かいながら、人生の何たるかを知るのです。
人が幸せになるために、何が必要かはもう知っており、
それを実践できる人から、始めればいいでしょう。
方向性さえ見失っていなければ、どんな路であろうと、
あとは楽しんで、日々を暮らしていけばいいのです。
大きなお金による、破壊的な大事業は厳に戒めて、
小さなお金の絆によって、心豊かな社会を育てましょう。