もう一つの、お金の問題

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以前に紹介した、マイケル・サンデルが言うお金の問題は、
「それをお金で買いますか」と言ったことでした。
これは社会の諸要素を、市場原理に基づいて見てしまい、
お金で買われてしまうと、失われる価値観があることを指摘し、
市場主義の社会に、警鐘をならしたものと言えるでしょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/63287603.html

僕はこの本の紹介記事の中で、最後に一行書いたのが、
「金融による過剰な資金をどうするかを除けば、当たっている」
と言うことですが、少し説明しておかなければなりません。
それは「お金の問題」には、供給過剰があるということです。
サンデル教授が指摘する、市場主義の問題そのものが、
この30年間に起きた、マネーの供給過剰によるもので、
この過剰がなければ、公正な市場の問題など起きないのです。

マイケル・ムーアの映画「キャピタリズム」が教えてくれたのも、
過剰な金融投機によるマネーの膨張は、社会を豊かにはせず、
貧富の差を拡大させるだけで、問題が大きいと言うことでした。
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/60305086.html
つまり「それをお金で買うか」以前の、根元的な問題として、
どうして、そんなに何でも買えるようなお金があるのか?
と問わなければ、問題の本質は見えてこないでしょう。

僕が「過剰」の問題に気付いたのは、丸山圭三郎さんの影響で、
当時は「過剰による意味の変容」と理解していました。
こうした考えは、何も新しいものではなかったと思われて、
「量」によって「質(意味)」が変わってしまうことは、
古くから格言にも、指摘されてきたことだと思います。
例えば「悪化は良貨を駆逐する」の場合にも、当てはまるし、
大量のB29が飛んでくれば、ゼロ戦は意味を失うのです。

そして今では、金本位制が撤廃されてから起きた現象である、
金融商品によって、実体のないマネーが膨れ続けることによって、
お金の意味は変容してしまい、巨大な怪獣になったのです。
この怪獣をいくら飼い慣らそうとしても、増え続ければ、
さらに変容を遂げて、何でも食い荒らしてしまうでしょうし、
その状態を野放しにしておいて、使い道を適正化しようとしても、
なかなか無理があることは、想像に難くないのです。

問題が何であるかは、ある程度わかってきてはいるのですが、
どのように解決できるかとなると、これが何とも難しい。
まさしく哲学的な課題で、例えばFRBが失業率目標を導入しても、
日本銀行国債の購入をしてみても、お金の総量が膨らむ限り、
貧富の差は拡大して、使い道の公正の問題ばかりが表に出る。
だけど問題の本質は別の所で、このお金の総量を抑制して、
過剰なお金が怪獣化することを止めないと、解決しないのです。

その上でこそ、お金の使い道が議論されれば意味があり、
適正な使い道によって、公正な社会の実現も可能になるでしょう。
しかしながら、増え続ける金融資本主義のマネー下においては、
変容して怪獣となったマネーは、すでに等価交換の道具ではなく、
まったく新しい意味を持って、市場を増やし続けるのです。
これをコントロールできない限り、やがて世界経済は、
かつてない問題を生み出し、解決できなくなるでしょう。