日々の明け暮れ

イメージ 1
 
気が付けば、ブログを書かない日が3日続きました。
長期の旅か病気でもなければ、3日以上記事を書かないことは、
原則的にないつもりでいたのですが、それもくつがえり、
今は新しい事態を、全力で受け止めているところです。
今週は「ひとのま」で自然農の話をしてきましたし、
Nプロで7月のイベントに向けて、打ち合わせもありました。
えんかふぇで7月の食事会もあって、もちろん田植えも忙しく、
記事ネタはたくさんありましたが、書いている暇がなかった。

そんなに忙しいのかといわれると、忙しいとは何か?
たとえば「充実した何もしない時間」は忙しいといえるのか?
根源的な問いかけから、自分の暮らしを見直してもみる。
このところの僕は、12年に一度の変化を全身に受けており、
やるべきことの多さと、それ以上の充実に酔っているのかもしれない。
ここでこうして時間が過ぎていくこと自体に、喜びがあって、
自分の存在とは、そうした喜びの集大成かもしれないと思えば、
あらゆる一瞬が大切で、あらゆる一瞬が充実して感じる。

本当はもっと具体的に、適切な表現を練りたいけど、
今はともかく、この時間を大切にして生きていきたい。
そんな単純な喜びで、毎日が何もしないでも充実しているのです。
何もしないでも充実しているというのは、言葉の綾でもあって、
自分が関わって起きている事態に、寄り添っていることで、
刻一刻が命にかかわり、味わうに余りある時間を過ごしているのです。
この先どうなるのか、わかるようでわからないのが自然農で、
それが自らの生き方を、素直に受け入れる下地にもなっている。

去年から本格的に始めた馬畑は、実際にすぐ近くに馬がいて、
時々挨拶を交わしますが、馬はちゃんとこたえてくれる。
命あるあらゆるものが、命あることによってつながっており、
あらゆる存在が、その孤独を胸に繫がりを求めているからこそ、
僕らは奥深いところで求め合い、愛し合うことができる。
そんな思いを、共有して生きることができれば、
それ以上に大切なことなど、何もないとわかるのですが、
時代の価値観は、まだ遠くそこまでは至っていません。

絶望のどん底で、シュマッハーの「Small is Beautiful」を知り、
マルケスの「百年の孤独」を読んで感動したのは、遠い昔、
それからイリイチの思想に惹かれて、世界観が広がり、
様々な市民活動を通して、「生き方としての自然農」に出会った。
今では人生に迷うことはなく、質素に日々を暮しながら、
様々な市民活動も続けてきたのですが、その最後の仕上げに、
この出来事は驚きでもあり、感謝せずにはいられません。
2012年の半ばに、奇跡は確実に起きているのです。