心躍る開墾作業
一昨年の秋以来、少しずつ開墾してきた馬畑ですが、
今年は遂に、一反近い区画の全部を畑に出来そうです。
この2週間ほどで刈り取った、キリン草など草の茎類は、
まとめて積み上げて乾かし、穴を掘って燃やしました。
これで当分は、大きな草に邪魔されることもなく、
敷地一杯に作付けを考えて、少しずつ畑を広げられます。
今年は遂に、一反近い区画の全部を畑に出来そうです。
この2週間ほどで刈り取った、キリン草など草の茎類は、
まとめて積み上げて乾かし、穴を掘って燃やしました。
これで当分は、大きな草に邪魔されることもなく、
敷地一杯に作付けを考えて、少しずつ畑を広げられます。
自然農の場合、基本的には土を耕さないのですが、
水捌けが悪いと、作物がうまく育たなかったりするので、
必要に応じて溝を切ったり、畝立てをしたりします。
特にこの馬畑では、馬が走り回っていた土が硬いので、
根菜類を育てる場合は、畝立てを高くする必要があります。
だけど乾いた馬糞もたっぷりあるので、これで畝上げし、
1メートルの幅広畝を、次々に増やしてきました。
最初の頃に比べれば、畝立ての要領もうまくなって、
すでに区画内の半分以上が、畝立てを済ませています。
残り半分の内、かなりの部分は大豆や鞍掛豆を植えるので、
畝立ての必要はなく、必要があれば排水溝を掘ります。
こうして少しずつ畑が広がっていくのは、嬉しくて、
きつい肉体労働も、心躍るエステティックに思えてくる。
子どもの頃には、農作業なんてバカにしていましたが、
様々な土地で、幾種類もの仕事に携わりながら知ったのは、
人が生きていく基本は、食べ物を作ることだってこと。
それをどのように作るかは、どのように生きるかと同じ、
人生哲学をどのように実践し、生きていくかってことでした。
東洋で一つの境地とされる仙人は、自然の中で、
霞を食べて生きるが如く、自然を壊さない生き方をします。
この生き方を現代に持ってくれば、地産地消の自給自足で、
食とエネルギーを余所に持ち出したり、持ち込んだりしない、
自然農の如き、持続可能な循環型社会に生きることです。
何でもかんでもお金換算して、お金経済を膨らませなくても、
人々は自律的に生活を営み、余剰分を足りない人に分かち、
助け合う暮らしをすることで、安全安心な生活が営める。
これをベースにして、僕らは親しい人と家庭を持って、
心身を寄り添いながら、生きる喜怒哀楽を味わい尽くす。
人間が生きていく上で、これ以上に大切なことはないから、
この暮らしを守るために、政治ってものもあるのです。
日々の暮らしを快適にしながら、破綻無く続けるために、
様々な知恵とノウハウを駆使して、善い社会を育てていけば、
この大地は、即天国となる自然の恵みに満ちているのです。