ローザンヌ国際バレエ・コンクール

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立春の4日、スイスのローザンヌで開かれた国際バレエコンクールで、
厚木市に住む高校2年生の菅井円加さんが、審査員評価一位で優勝されました。
過去にこのコンクールから世界に羽ばたいた日本人は、熊川哲也さんと、
吉田都さんだけで、吉田さんは今回コンクールの審査員でもあったようです。
このニュースの映像を見て思ったのは、日本人の中に根付く感性でした。

僕は子どもの頃から、美しいものに対する憧れは強かったのですが、
絵画、音楽、踊りなど、何一つ自分ではうまく表現できない子だったので、
せめて感性だけは磨いて、良いものがわかる審美眼は養っていたかった。
後になって思えば、僕が子どもの頃を過ごした井波町は門前町であると同時に、
町の中のいたるところに、木彫やブロンズ像などが飾られている、
なにかそうした美に対する意識が、もともと強い地だったのでしょう。

井波は古く瑞泉寺を建てた大工が、木彫刻を伝えた町としても有名ですが、
和歌、俳句、お茶、活花、謡曲能楽、踊りなどもけっこう盛んで、
特別有名人の輩出はないけど、文化を楽しむ気風がある土地柄なのです。
自然豊かな気候風土で、何度か町の大半を焼くような大火を乗り越えながら、
良くも悪くも独特な文化を育てて、今日までその影響を残していますから、
馴染みにくい反面もありますが、芸術に対する感性は豊かな地と言えるのです。

感性とかセンスとか、何をもって判断するのか微妙な多くのことは、
○×式の学校教育では、決して伝えることの出来ないものだと思いますが、
優れた芸術文化に接することで、そこそこ伝えることも可能なものでしょう。
その根底には、長い歴史で培われてきた日本人の学習成果があるのか、
あるいはその文化を目覚めさせる、何かDNAのようなものが働いているのか、
いずれにしても、阿吽の“素養”がないとわからないことでもあるようです。

そんな伝えにくい何かとは何であるか、やはり神道と関係がありそうで、
今回ローザンヌで優勝した菅井円加さんの、踊る姿を見たときに思ったのは、
ああこれは、神に奉納するための巫女舞なんだ!ってことでした。
もちろん彼女はそんなことを考えてはいないでしょうが、踊るときの手足、
爪先や指先までに込められる表情は、誰のために表現されているのかと思えば、
審査員のためでもなく聴衆のためでもなく、さらに上なる“なにものか”のため。

多くの日本人が好きな“道”ってものは、この間の事情を物語っており、
人は何をするにしても目指すものがあるとすれば、生き方に繋がるのですが、
その生き方の良し悪しをわける基準こそ、神の目線に他なりません。
しかも日本人にとって神の意に叶うとは、理論的な善悪などではなく、
神を喜ばせることが大切なので、祭りも美しさもこの方向に向かうのです。
菅井円加さんの踊る姿を見て、そんなことを考えました。