おだやかな新年に
年末年始は、快晴ではありませんでしたが、
比較的寒さもゆるくて、過ごしやすい日々でした。
今年の冬がずっとこの調子で、雪も少なければ、
いろいろやりたいことも、捗るでしょうけど・・・
比較的寒さもゆるくて、過ごしやすい日々でした。
今年の冬がずっとこの調子で、雪も少なければ、
いろいろやりたいことも、捗るでしょうけど・・・
今年は多くの人にとって、自分を試されそうな一年で、
ずっと続けてきた市民活動が、実を結ぶのかどうか、
僕も一つの区切りを、迎えることになりそうです。
と言って社会の転換が、これで駄目なら当分ダメとか、
そんな単純ではなく、社会は変わっていくでしょう。
そのように活動してきたのだから、最後まで、
純粋に社会の価値観が変わって、気持ちよくなれば、
僕の10年間の活動は、報われたことになります。
しかし言い方を変えるなら、僕がどうあろうと、
社会は自律的に、変革をするしかなかったとも言える。
長年主張してきた発送電の分離や、脱原発なども、
市民民主主義の広がりと、切っても切り離せないもので、
人々の生き方や社会の在り方、価値観が問われます。
全体として、何一つ無関係ではない一つの世界を、
どう認識して関わっていくかが、問われていたのです。
日本社会が、なかなかそれを克服できないから、
自然界が大きく動いて、真実を問うてきたとも言える。
大震災に原発事故が起きて、大勢の人が逃げまどったのは、
利便性や収益優先の合理化社会の、必然的な帰結であり、
変わるべきは、人々が信じ込まされていた価値観なのです。
“祈り”とは何か?って問いは、今まで何度も取り上げ、
人の活動に方向性を示す、大切な要素だと書いてきました。
その方向性はまた、かならず自らを振り返る中にあり、
己がここにこうしてあることへの、感謝の念から始まります。
自然界の一員として、自分がここにあることへの感謝の念。
この感謝の念が、しっかり心に生きているならば、
収益を追求して自然界を破壊するなど、本末転倒とわかり、
人間性よりも合理性を求める政治経済が、間違いだとわかる。
間違いに気付けば、すぐに修正していけばいいのですが、
今の日本人は、修正の仕方がわからないほど洗脳されている。
洗脳の大元は、大手新聞テレビのマスコミと教育で、
そこから脱するのは、原発依存から脱するよりも難しい。
それでもまったく見えないかと言えば、ありがたいことに、
インターネットなどの新しい通信網が、視野を広げてくれて、
僕らは家にいながらにして、情報を精査できるのです。
精査する主体は、よほどの学問を積んで真実を見分けるか、
地に足の着いた生活から生まれるか、どちらかでしかないので、
どちらにも根ざさないマスコミは、ショーでしかありません。
ショーアップされた情報に騙されれば、その規模が大きいだけに、
大きなしっぺ返しを被ることは、すでに実証されたとおりです。
今一度、神社へお参りするにも何を祈るかを意識して、
今ここに在ることへの感謝から、何を大切にすべきかを考える。
自然の恵みに感謝して、これを壊さないことが最低条件で、
その上で僕らは、助けを必要としている人に手を差し伸べる、
ただそのためにだけ、余剰富の蓄積は必要となるのです。
溜め込むことなく循環させる、我欲に走らず助け合う、
これが新しい豊かさと、幸せへのヒントだと思うのです。